だが2016年の終わりにはターニングポイントが訪れていた。クアルタラロはマネージャーと袂を分かち、元レーサーでジャーナリストのエリック・マヘと組んだのだ。マヘはランディ・ド・プニエ、ロリス・バズ、ジュール・クルーセルのマネージメントも行なっている。
クアルタラロはマヘと仕事を始めた時、元250ccクラス世界チャンピオンであるシト・ポンスのMoto2チームと2年契約を結ぼうとしていた。18歳で迎えた初めてのMoto2シーズンは、彼の最後のMoto3シーズンと同様に不調だった。彼はレースでトップ5に入ることなく、13位でシーズンを終えた。
そこでマヘは、チーム・ポンスにクアルタラロを放出するよう交渉し、クアルタラロには2015年序盤から1度も優勝していないイタリアのスピードアップに加入することを提案した。
マヘの計画はシンプルだった。「ファビオは才能に満ち溢れていた」とマヘは語る。
「だがそれ以外では彼の環境はろくなものではなく、チームも彼と良い関係になかった。私は彼にスピードアップへ行くように納得させた。このチームはライダーと家族のように仕事をするからだ。それに、技術クルーはランディと仕事をしていたから、私は彼らの仕事ぶりを知っていた」
MotoGPのパドックは誰にとっても生き抜く上で厳しい場所だが、特に人々が利用したがるような溢れる才能を持つ10代の少年にとってはなおさらだ。一部の人々はライダーのためというよりも、自分たちのために彼の才能を利用したがる。
「この世界には多くのヘビやタカリ屋がいる」とマヘは続ける。
「スピードアップを別として、2018年に向けてファビオに関心を持ったチームは4つあった。そうしたチームのひとつのオフィスに入った時、最初に聞かれた質問はこうだ。『エリック、我々がファビオと契約できるチャンスを高めるには、いくら払えばいい?』彼らは金が詰まった封筒を私に渡そうとしたのだ! 狂っている! 酷いものだ!」
「この段階で、私はファビオのおじのようなものだった。彼の信用を得るためにも思いやる気持ちが重要だ。もし自分の金を管理している人間を信用できなかったら、その人物のことは忘れるべきだ」
スピードアップに加入したことで、クアルタラロはついに若手育成のノウハウを持つチームを見つけたことになった。2018年の第7戦カタルーニャGPでポールポジションを獲得して優勝を飾り、続いて第8戦オランダGPでは2018年のチャンピオンとなるフランセスコ・バグナイアに迫り2位につけた。
2015年の序盤以来、初めてクアルタラロはメディアに大々的に取り上げられるようになった。そしてマヘはすでにいくつかのチームと話をし、MotoGP昇格への交渉を行なっていた。
モータースポーツで成功するには、才能、知性、勇気、決意のすべてが不可欠だ。そして幸運も必要だ。クアルタラロの評判が上がっていくのと時を同じくして、ヤマハはMotoGPで新たなサテライトチーム設立を発表し、2019年に向けて少なくともひとりの若手ライダーを探していた。そして、クアルタラロは2017年のMoto2チャンピオンであるフランコ・モルビデリとともにチームに加入することになった。
ズィーレンベルグが早いうちからクアルタラロに関心を示していたことの正しさがすでに第4戦スペインGPで証明されている。なぜなら、クアルタラロは史上最年少ポールポジション獲得記録を塗り替えたのだ。レースでは表彰台に届くかと見られていたが、ギヤシフターのトラブルによりリタイアを余儀なくされた。
トラブルによりリタイアしたクアルタラロについて「若者が泣いているのを見ると、私も泣くのを我慢するのが難しい」とマヘは語る。
「ファビオがピットに戻ってきた時、彼は完全に打ちのめされていた。誰もが彼を慰めようとした。私はこう言った。『ファビオ、君はよくやった! よくやったんだ! これは君のせいではない。不運だったが、まだ多くのレースが控えているんだ』と」
「15分ほど彼は打ちのめされた様子だったが、そのまた15分後には落ち着きを取り戻し、気を取り直していた」
クアルタラロは、必然的に特別なプレッシャーを伴うことになる母国レースの第5戦フランスGPで、おそらくキャリアにおける最大の挑戦に直面することになる。彼は2015年のMoto3において、ル・マンでポールポジションを獲得した時が、グランプリキャリアの終わりの始まりとなりかけたことを覚えておく必要があるだろう。