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F1ドライバー

F1 | ロマン・グロージャン(Romain Grosjean) 2019年

ロマン・グロージャン(Romain Grosjean) 2019年

フランス / リッチ・エナジー・ハースF1チーム /

ゼッケンNo. :8

●国籍:フランス
●生年月日:1986年4月17日(32歳)
●身長/体重:180㎝/61㎏

●出走:21回 
●優勝:0回(勝率:0%)
●表彰台:0回(獲得率:0%)
●入賞:7回(入賞率:33.33%)
●完走:15回(完走率:71.42%) 
●PP:0回(獲得率:0%)
●Q3進出:16回(進出率:76.19%) 
●Q2進出:17回(進出率:80.95%)
●FL:0回 
●予選平均順位:9.00位
●決勝平均順位:10.80位

●F1デビュー:2009年第11戦ヨーロッパGP
●在籍チーム:ルノー(2009年ヨーロッパGP~アブダビGP)→ロータス(12年~15年)→ハース(16年~)
●出走:143回 
●優勝:0回 
●PP:0回
●FL:1回 
●表彰台:10回 
●入賞:55回
●通算獲得ポイント:381点
●ドライバーズ選手権最上位:7位(2013年/ロータス)

■ロマン・グロージャン プロフィール

 生まれはスイスのジュネーブ。スイスとフランスの二重国籍を持つ。なお、モータースポーツ国籍はフランスで登録している。

 14歳を迎える年にカート競技を始め3年間を過ごし、2003年にフォーミュラに転向した。最初の年はスイスでフォーミュラ・リスタ・ジュニア1.6というシリーズを走り、10戦10勝の完璧な結果で王座に就いた。

 翌04年フォーミュラ・ルノーに進出し、フランス選手権とユーロカップの活動を並行。いずれもフル参戦ではなかったが、フランス選手権では1勝を記録している。翌05年もこのふたつのシリーズを走ったが、フランス選手権の参戦数を増やし10勝を挙げて王座を手にした。

 これによって、ルノーの若手ドライバー育成プログラム(ルノー・ドライバー・デベロップメント)のメンバー入りを果たす。年末にはF3の『マカオGP』参戦が急きょ決まり、経験のないなかで9位の結果を残した。

 06年はF3に本格進出。メインで闘ったユーロシリーズは未勝利に終わったものの、スポット参戦した英国選手権では2戦2勝の速さを見せた。2年連続の参加となったマカオGPは5位。07年はチームを移り再挑戦したF3ユーロシリーズで、6勝を挙げてタイトルを獲得した。3年連続のマカオGPは8位に終わり、制覇ならず。

 08年はルノーがF1チームのテストドライバーに指名。GP2(現FIA F2)にステップアップし、この年からの開催となったアジア・シリーズでは4勝して初代チャンピオンとなる。この前哨戦に続くヨーロッパ開催のGP2メインシリーズでは、2勝でランキング4位だった。

 なお6月には、デモンストレーション走行ながら、前年型ルノーでF1ドライブも経験している。

 09年はGP2での活動を続行し、メインシリーズのみに参戦。開幕3戦で2勝を挙げるなどしたものの、シーズン途中でルノーのF1シートにネルソン・ピケJr.解雇で空席ができ、第11戦時点から突然の最高峰デビューとなる。

 だが光る速さは見せられず入賞もなく、翌10年のシートには選ばれなかった。10年はルノーのテストドライバー契約も切られ、キャリア続行の危機を迎えるが、FIA GT1世界選手権(現在は消滅)にシートを見出し、開幕戦勝利。その後、第5戦までを走る。

 またフォーミュラレースとしては『Auto GP』(現在は消滅)に第3戦時点からエントリー。途中参戦のハンデがありながら、シリーズタイトルを獲得した。夏過ぎにはGP2からの代役出場オファーも舞い込み、ふたたびドライバー活動を軌道に乗せた。翌11年からのF1タイヤ供給を控える、ピレリのテストドライバーにも起用された。

 11年はGP2でレギュラーシートを得て、アジア、メインシリーズの2冠制覇。ルノーからロータス・ルノーと名前を変えたチームのテストドライバーにも返り咲く。終盤2戦では、FP1の走行も担当した。

 そして12年、ロータスをエントリー名としたチームのレギュラー昇格。F1再デビューを果たす。

 好調なクルマにも助けられ、開幕戦オーストラリアで予選3番手。充分な速さを示すと、第3戦中国6位で初入賞、続くバーレーンGPで3位に入りF1初表彰台に立った。最高位は第7戦カナダGPの2位。だが接触事故も多く、第12戦ベルギーではスタート直後に起きた多重クラッシュの原因をつくったとして、前代未聞の1戦出場停止処分を受ける。

 13年もロータス残留、前年3度を上回る6度の表彰台に昇り、年間のドライバーズランキングも自己ベストとなる7位をマークした。だがその上昇曲線ぶりは、14年のF1パワーユニット規定導入で一気に下降をたどる。ルノーのパワーユニットが低調だったことで、いずれも8位の2回入賞に留まり、ドライバーズランキングも14位まで下落した。チームは15年に向けてパワーユニットをメルセデスに切り換え浮上を図ったものの、この年には財政難の問題が出始めていた。

 第11戦ベルギーで3位の1度表彰台はあったが、翌16年から新規参戦となるハースの担当エンジニア、小松礼雄とともに移籍を決断する。ハースでは幸先良く、開幕戦から6位入賞。5回の入賞でこの年のチームの全選手権獲得ポイントを稼ぎ、デビューシーズンのコンストラクターズランキング8位に導く。

 ハースとは当初に3年契約を結んでおり、その3年目となる18年にはふがいないクラッシュが相次いだ。チームは過去最高となるコンストラクターズランキング5位に躍進したが、17年に加入の同僚ケビン・マグヌッセンに対し大きく獲得ポイントで劣った。

 そのためチーム内での立場が揺らぎ始め、18年、19年と翌年の放出説が浮上するなか、いずれも残留が決まり20年はハースで5年目のシーズンを迎える。

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