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モタスポブログ

2016.10.07

ロータス99Tの存在価値/GP Car Story Vol.17 Lotus 99T


モタスポブログ | ロータス99Tの存在価値/GP Car Story Vol.17 Lotus 99T

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GP Car Storyの三橋です。
本日、GP Car Storyの最新刊Vol.17「Lotus 99T」が発売になります。
みなさま、ぜひともよろしくお願いいたします!

素晴らしいタイミングといいますか、今日から鈴鹿サーキットで日本GPが開幕しました。
1987年に初めて鈴鹿サーキットで開催されてから、今年は数えてちょうど30回目(そのうち2回は富士での開催ですが……)のメモリアルグランプリです。
その記念すべき最初のグランプリ、あの時のグリッド上にいた2台の99T。
1台は日本人として初めてフルタイムでのF1参戦を果たし、凱旋レースを迎えた中嶋悟が駆り、もう1台はニッポンF1ブームのまさしく「シンボル」的存在となったアイルトン・セナがドライブ。
今にして思えばこの組み合わせは“奇跡”ですよね。
この時のロータス・ホンダというジョイントが誕生していなかったら、のちの日本のF1ブームはあそこまで爆発的にはならなかったでしょう。
そう思うと最初に目の当たりにしたF1で、このふたりのコンビを見られた日本人は幸せだったのだと思います。

99Tはみなさんの中でどのようなマシンとして記憶されているでしょうか。
あのカラーリング、キャメルイエローはいろんな意味でインパクトがあったと思います。
メカ的にいえば、やはりアクティブサスペンションですね。
このデバイスを完全にものにしたのは、のちのウイリアムズ・ルノーであることは歴史的に認知されていますが、元祖は99Tなのです。
ただ、悪い言い方をすればアクティブサスしか見所がなかったクルマだったと言えなくありません。
今回、本誌をご覧いただければご理解いただけると思いますが、99Tは決していいクルマではなかったといえます。
同じホンダ・ターボを搭載するウイリアムズとは明確なポテンシャルの差が存在していたのは否めません。
選手権争いを基準に99Tを見た時、このクルマは決して主役にはなれなかった……。
なのに日本人にとっての印象は、ウイリアムズFW11B以上の価値を感じてしまう。
それこそ、あのクルマに中嶋悟とアイルトン・セナが乗っていたからだといえるのです。

今回、当時ホンダ F1の総監督だった桜井淑敏氏にお話を伺いましたが、実は87年からマクラーレンとウイリアムズにエンジンを供給するプランがあったというのです。
その際のラインアップはマクラーレンがセナとプロスト、ウイリアムズにピケとマンセル、まさしくあの時代を代表する“四天王”です。
今の我々からしたら、ホンダ・エンジンを搭載した最高のクルマで4人が戦う……そう像しただけでワクワクしてしまいます。
でも、F1がどういうものか理解し切れていなかった87年当時の日本のファンにいきなりこの対決構図を見せても、そのすごさを理解するには時間がかかったでしょうし、それ以前に本当に興味を持てたのかも疑問です。
のちの爆発的なブームを考えた場合、四天王の戦いよりもロータス・ホンダが誕生した事の方が歴史的役割において日本人には多大な影響を与えたのだと思います。
中嶋を介して、日本人はF1の世界に魅了されていきます。
そして、冒頭でも書きましたが、奇跡が起きたといえるのが、中嶋の隣にセナがいたことなんだと思います。
99Tを通じて、日本のファンはF1がいかなるものを学んでいく……結果的に99Tは選手権の主役にはなれませんでしたが、我々日本人のファンにとってはF1の始まりを象徴するマシンとして、今でも特別な存在であると思います。

99Tを駆ってセナは2勝(ポール1回)で選手権3位、中嶋は最高4位で選手権11位の結果を残しました。
あれから30年、この数字が何を物語るか実際に本誌をご覧いただいて、みなさん自身であらためて評価してみてください。

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