以上のように、ヨーロッパ以外のイベントに関しては現時点で比較的競争率が低い。対して、ヨーロッパ内での競争は非常に激しく、それがカレンダーの決定および発表が先送りされた最大の理由と言われている。
本来ならば6月14日にフランスのパリで開催されたWMSC(世界モータースポーツ評議会)でカレンダーが決まり、ラリー・ジャパンの2020年開催が正式決定するはずだった。だからこそ、日本ラウンド招致準備委員会の一部関係者はパリを訪れ、一部はWRCイタリア(ラリー・イタリア・サルディニア)を訪れ、WRCの現場でのアナウンスに備えたのである。
ところが、結果的にWMSCでの発表はなく、それが吉報届かずと冒頭に記した理由である。またしても空振りに終わってしまったわけだが、2019年のカレンダー入りを果たせなかった昨年と状況は大きく異なるようだ。
すでに今年5月に開催されたWRC委員会の会合で、WRCプロモーターから提案され承認された2020年のカレンダー案に、日本の文字はあったもようだ。あとはWMSCで正式承認という流れだったが、それがなされなかった理由は、先に述べたようにヨーロッパ内イベントの当落が合意に至らなかったからだと噂されている。
WMSC内でのやり取りは基本的に非公開で、我々が正規のルートで詳細を知る術はない。しかし、内部事情に詳しいヨーロッパのとある関係者によれば、どうやら落選を伝えられたのはドイツとフランス(ツール・ド・コルス)で、その処遇を巡り、最終合意に至らなかったようだ。
ヨーロッパの大きな自動車会社とマーケットがあるドイツとフランスが落選とは、意外かもしれない。しかし、ドイツはASNであるADACの資金不足が以前から伝えられ、フォルクスワーゲンのWRC撤退以降は非常に厳しい状況にあったようだ。
また、フランスも観客動員数が少なく、さらにラリー・モンテカルロのステージがすべてフランス国内で行なわれているという事実もあり、不利な立場にあった。
ちなみに、独自に入手した情報によると、2020年のカレンダーから外れる可能性のある欧州イベントは、モンテカルロ、フランス、イタリア、ドイツ、トルコの5戦。このなかから2戦がバンプアウトされることになり、ドイツとフランスがその対象となったようだ。
しかし、よくよく考えてみれば、シトロエンはフランスのマニュファクチャラーであり、FIA会長のジャン・トッドはF1にフランスGPを復活させた立役者である。何らかの力が働いたとしても不思議ではなく、この先状況が変わる可能性も排除できない。
また、WMSCではイベントのローテーション開催も検討していると発表された。ローテーション開催は過去にWRCで実施され不評だったが、ただでさえ増加傾向にあるイベントを吸収するためには、復活させるしか、方法はないのかもしれない。
最終的なカレンダーは電子投票によって決まり、早ければ6月末に発表される。そのときこそ、「WRCラリー・ジャパン」の復活が堂々宣言されるはずだ。サルディニアを訪れていた招致準備委員会の高橋浩司氏は「心配はしていません。今度こそ必ず決まると期待しています」と、やや疲れた表情ながら強い自信をうかがわせた。
彼の手には、配り切れなかった新生ラリー・ジャパンのイベントステッカーが大量にあった。しかし、次戦のラリー・フィンランドでは、それにWRCとFIAのオフィシャルロゴが加わった、最新版のステッカーがきっと配布されることだろう。