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スーパーGT ニュース

投稿日: 2017.10.18 17:34
更新日: 2017.10.18 17:51

【本山哲×道上龍スペシャル対談】ふたりの現在地、WTCCもてぎとスーパーGTを語る

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スーパーGT | 【本山哲×道上龍スペシャル対談】ふたりの現在地、WTCCもてぎとスーパーGTを語る

 近年の国内モータースポーツを率いてきた本山哲と道上龍。ニッサン、ホンダの両メーカーを代表するドライバーでもあるふたりは、ご存知の方も多いようにカート時代からの良きライバル。ベテランとなった現在もお互いの近況はやはり気になるところ。WTCCにスーパーGT、そして現在の若手ドライバーの育成などのお互いの活動を含めて、20周年を迎えたツインリンクもてぎの場でふたりに聞いた。

■記憶に残る、ふたりの直接バトル

──今年、ツインリンクもてぎが20周年を迎えることになしましたが、おふたりが直接戦った中で、ツインリンクもてぎで一番記憶に残っているレースはどのレースになりますでしょうか?
本山哲(以下、本山):もてぎでは俺がレイナードで、道上がローラでトップを走っていた時にワン・ツーだったのを覚えているね(1999年第9戦)。フォーミュラ・ニッポンでいつも道上が勝てそうな時にいつも俺が1位みたいな(苦笑)。
道上龍(以下、道上):その何年かあとの鈴鹿東コース(2001年第5戦)のレースのときも僕が2位で同じだった。
本山:70周ぐらいずっと(道上が)真後ろを走っていた。表彰台圏内の争いで何回か一緒に走った記憶あるけど残念ながら多くはなかった(笑)。
道上:直接、一緒に争うシチュエーションになりづらいというか、自分が本山さんの近くにいないだけで(苦笑)。
本山:俺がフォーミュラ・ニッポンで初優勝したとき(1998年第2戦MINE)には道上が3位だった。あのときのメンバーは2位の(脇阪)寿一もそうだったけど、全員初表彰台だった。
道上:そうなんですよね。

──当時、3人のMINEの表彰台は新時代の到来を予感させた印象的な1戦だったと、今も語り継がれています。そもそもになりますが、カート時代のおふたりはどのような関係だったのですか?
道上:カート時代に直接一緒に走ったのは数回。本山さんが関東で僕が関西。東と西に分かれて、最終的に東西統一戦で走ったときだけだけど、以前から本山さんのことを知っていました。
本山:東西統一選は、1回だけ最終戦で戦って、俺が勝って道上が2位だったことがある。
道上:そうそう、つま恋で。
本山:そのレースはよく覚えている。俺がトップを走っていて、道上が2位で、おそらく道上の方が速かったんだけど抜きに来なくて、結局、勝たせてくれた(笑)。
道上:本山さんは今もそうですけど隙がないというか、抜きたいけど抜けるところまで行けない。バトルでの入りづらさ、行きづらさがある。

──ブロックがいやらしい?
道上:いや、ブロックではない。要所要所をコントロールしている。間違いなく、つま恋のカートも、僕のほうが速かったんですよ。最終戦に良いエンジンが海外からきて、「よし!」という感じだったんですけど、タイヤのマネジメントで引き離されて結局、僕が2位だった。その年も、僕は西でもそれまではトップに来れていなかった。ようやく最後の東西統一戦で良いパッケージだった。
本山:その時ぐらいしかまともに一緒に走ってないかもしれない。道上とはカートを戦っていた時期がずれていたからね。全国を転戦するレースで関西へ行ったとき、自分が1番上のクラスで、道上がひとつ下のカテゴリーにいたという状況だったよね。

■WTCCフル参戦のシーズンを振り返って

2000年に道上がJGTCで初タイトルを獲得したCastrol無限NSX。ホンダにとっても初タイトルになった。


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