4月8日、岡山国際サーキットで開催されたスーパーGT第1戦の決勝。両クラスとも優勝争いは激しい戦いが展開されたが、GT300クラスの優勝争いは終盤まで25号車HOPPY 86 MCと18号車UPGARAGE 86 MCの2台で争われていた。マザーシャシー同士の戦いはUPGARAGE 86 MCの勝利に終わったが、レース後、HOPPY 86 MCのスタートドライバーを務めていた坪井翔は、悔しさのあまり涙を流したという。
1995年生まれの坪井は、カートからジュニアフォーミュラにステップアップし、2015年に初代FIA-F4チャンピオンを獲得。16年からは全日本F3選手権に参戦する一方、17年にはGT300クラスにデビュー。JMS P.MU LMcorsa RC F GT3をドライブし、2勝を挙げて一躍注目を集めた。
そんな坪井はその速さを買われ、今季土屋武士監督率いるつちやエンジニアリングに加入。「今年はドライバーとして成長している(土屋監督)」という松井孝允のパートナーに抜擢された。オフのテストから、ライバル勢が戦々恐々とするスピードを見せつけ、フォーミュラの感覚で乗れるHOPPY 86 MCに坪井自身もフィット。開幕戦となる岡山は、優勝候補の一台だった。
4月7日に行われた公式予選では、Q2で雨が降り出したこともあり5番手。ただ、Q1では坪井がトップタイムをマークしており、土屋監督の期待に応えていた。5番手ならば十分優勝が狙えるポジションだ。
■堂々たるトップ争いを繰り広げた坪井
迎えた8日の決勝。坪井はスタートドライバーを務めた。序盤、GAINER TANAX GT-Rの安田裕信やHitotsuyama Audi R8 LMSのリチャード・ライアン、TOYOTA PRIUS apr GTの嵯峨宏紀らと激しいバトルを展開し、堂々たるトップ争いを展開する。タイトな岡山で繰り広げられたバトルは、大いにファンを魅了した。
29周を終え、坪井はピットにマシンを戻す。松井にステアリングを託しHOPPY 86 MCはふたたびコースに戻っていった。当然ながら、マザーシャシーの“お家芸”とも言えるタイヤ無交換作戦が採られており、松井は各車がピットインを終えてみると首位に浮上している。
ただ、マシンを降りた坪井がモニターに目をやると、後方からは同じマザーシャシーで無交換作戦を採ったUPGARAGE 86 MCが近づいていた。「18号車がすごい勢いで迫っているのを観て、だんだん僕の雲行きが怪しくなっていきました」と坪井はあることに気づいた。
追っていたUPGARAGE 86 MCの小林崇志は、レース後の優勝記者会見で「マザーシャシーはダウンフォースが強いので、前にピタリとつけているとタイヤを消耗してしまう。25号車はアウディとかとやり合っていた」と分析している。
「前半スティントを担当した中山友貴選手は前と間隔をとって、タイヤを労ってくれていた。そこが勝敗の分かれ目だったのかな……と思います」と前半の中山の走りを評した小林の分析は、当たっていた。昨年までのレクサスRC F GT3とは異なる、MCならではの戦い方を、坪井はできていなかったことに気づいたのだ。
松井は57周目までなんとか小林の揺さぶりをしのいでいたが、ダブルヘアピンでGT500をうまく使われ、ついにUPGARAGE 86 MCが先行した。さらに松井にはスヴェン・ミューラー駆るD’station Porscheが急接近。為すすべもなく抜かれてしまう。
「周回を重ねるごとに、『早く終わってくれ……』という気分でした。本来は松井選手にもっと楽をさせたかった。それが僕の仕事だったはずなのに、できなかったのが悔しくて……」
松井がなんとか表彰台圏内を守り切りチェッカーを受けた瞬間、坪井は自然と悔し泣きしていたという。
「こんなに悔しい3位は初めてです」