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スーパーGT ニュース

投稿日: 2018.12.07 17:27
更新日: 2018.12.07 17:31

チーム・タイサン、2018年限りでスーパーGTでの活動に幕。今後はEVレースへ転換

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スーパーGT | チーム・タイサン、2018年限りでスーパーGTでの活動に幕。今後はEVレースへ転換

 12月7日、スーパーGT GT300クラスに参戦してきたチーム・タイサンは、『Team TAISAN Family』設立発表会と表彰式を行ったが、この場で2018年限りでスーパーGTでの活動を終えると発表した。

 永きにわたり日本のみならず海外でも活躍し、その名を轟かせてきた強豪プライベーターが、いったんスーパーGTでの活動に幕を下ろすことになった。電磁ポンプを製造する太産工業の代表取締役社長である千葉泰常氏の飽くなき情熱のもと、チーム・タイサンはスポーツカーレースを中心に活躍。主に外国車を使い日本のレースの盛り上げに欠かせない存在であったが、12月7日、千葉代表はこれまでの活躍に感謝する関係者を集めた席上、チームのスーパーGTでの活動終了を宣言した。

 この日の『Team TAISAN Family』設立発表会/表彰式で千葉代表は、スーパーGTの活動終了とともに、新たに社団法人を立ち上げ、これまでも活動を続けてきたEVレースへ転向を表明。今季も東京大学とのコラボレーションで走ってきた地頭所光、木村龍祐というふたりの若手ドライバーを育成するべく、活動を行っていくと明かした。

 また、チーム・タイサンのファミリーであり、2018年にGT500のチャンピオンを獲得したTEAM KUNIMITSUの高橋国光総監督、そしてGT300チャンピオンの黒澤治樹/蒲生尚弥をはじめ、鈴鹿で行われたTeam TAISAN AUCTIONに協力した飯田章等、過去にチームに所属し、貢献した関係者を表彰している。

「私自身の活動35周年を区切りにしようと思いました。勝てないレースに参戦しているのは、自分としてこれほど苦しいことはないんですね」と千葉代表は今回の決断の理由を明かす。

「私の力不足という面もありますし、『では勝てる体制を作ればいい』と声をかけてくださる方も多いんですが、それは感謝しつつも、できなくなってきているんです。グループCのときは我が社の電磁ポンプが役立つ、製品開発できる環境がありましたが、EVレースはそれができるんですね」

 チーム・タイサンは、1983年のWEC in JAPANからモータースポーツ活動を開始。ポルシェ956/962CでのグループC活動、さらにニッサン・スカイラインGT-RでのグループA活動で、日本のトップチームのひとつとして活躍した。

 1994年にJGTC全日本GT選手権がスタートすると、シーズン開幕戦から参戦を開始。フェラーリF40を独自に仕立てたマシンと、ポルシェ962CをGT仕様として持ち込み、初年度から大活躍。シーズン後半には、ジョリークラブ製のF40も持ち込み体制拡大。シリーズの盛り上げに貢献している。

 さらに1995年から持ち込んだポルシェ911 GT2は、国産メーカーたちを大いに苦しめ、ポルシェとフェラーリでの4台体制を敷いた時期もあったほか、GT500、GT300と両クラスで大活躍。ポルシェの戦闘力が下がると、GT1規定のダッジ・バイパーを投入。2001年にはGT300に完全に移行したが、その後も2000年から4年連続チームタイトルを獲得するなど、トップチームとして君臨した。

 最後のタイトルは2012年の峰尾恭輔/横溝直輝組のGT300王座だったが、それまでにすべてのレース活動で合計81勝/24回のチャンピオンという華々しい歴史を残してきた。また、JGTC/スーパーGTのほかにも、2000年にはル・マン24時間にも挑戦し、クラス優勝を飾った。

 その歴史はJGTC/スーパーGTの歴史と言っても過言ではないチーム・タイサンの活動休止。ファンにとっては非常に寂しいニュースとなってしまった。ただ、チームタイサンの活動は、EVレースでこれからも続いていくことになる。

「ウチで育ててきたドライバーたちがスーパーGTで活躍していますし、国さん(高橋国光)を見ていると、まだ頑張らなきゃいけないと思ったり(笑)。その力をEVレースに注いでいきます。今もチーム・タイサンファミリーが活躍しているので、それを応援するだけでも僕は幸せです。ファンの皆さんも、一緒に応援して頂ければと思います」

チーム・タイサン JGTC/スーパーGTにおける主なタイトル
1995年 GT1クラスチームチャンピオン(TEAM TAISAN)
1996年 GT300ドライバーチャンピオン(鈴木恵一/新田守男)
    GT300チームチャンピオン(TEAM TAISAN Jr.)
1998年 GT300ドライバーチャンピオン(鈴木恵一/舘信吾)
    GT300チームチャンピオン(TEAM TAISAN Jr. with つちや)
2000年 GT300ドライバーチャンピオン(福山英朗)
    GT300チームチャンピオン(TEAM TAISAN JR. with ADVAN)
2001年 GT300チームチャンピオン(TEAM TAISAN ADVAN)
2002年 GT300チームチャンピオン(TEAM TAISAN ADVAN)
2003年 GT300チームチャンピオン(TEAM TAISAN ADVAN)
2012年 GT300ドライバーチャンピオン(峰尾恭輔/横溝直輝)
    GT300チームチャンピオン(Team TAISAN ENDLESS)

シリーズ初年度にあたる1994年JGTC第5戦/最終戦MINE。太田哲也/オスカー・ララウリ組40号車F40が優勝。アンソニー・レイド/近藤真彦組35号車ポルシェ962Cが3位に入り、タイサンは優勝と3位を得た。
1995年第2戦富士。ポルシェとフェラーリを2台ずつ豪華体制を敷いたタイサン。左から40号車(太田哲也)、優勝した33号車(松田秀士/飯田薫)、34号車(アンソニー・レイド)、35号車(鈴木恵一/土屋武士)。当時はドライバー1名での出走も可能だった。
1995年JGTC第5戦/最終戦SUGO。アンソニー・レイド/近藤真彦組タイサンスターカードGT-2が優勝を飾った。
2003年、マレーシア戦代替の富士戦でGT300クラスの総合優勝を飾った山田英二/木下隆之組ECLIPSEタイサンADVANバイパー。後方は山路慎一/西澤和之組プラスe・タイサンADVAN GT3R。
2007年、谷口信輝と西澤和之、シーズン途中加入のドミニク・ファーンバッハーのドライブで2勝を飾ったユンケルパワー タイサン ポルシェ。
2012年、峰尾恭輔/横溝直輝組でチャンピオンを獲得したエンドレスTAISANポルシェがタイサンにとっての最後のチャンピオンとなった。
2018年のGT300を戦ったTAISAN R8 FUKUSHIMA
『Team TAISAN Family』設立発表会と表彰式の様子


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