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スーパーGT ニュース

投稿日: 2019.02.09 16:25
更新日: 2019.02.09 16:52

「ありがとう! “帝王・本山”」。本山哲に星野監督、柿元邦彦アンバサダーたちが感謝の言葉

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スーパーGT | 「ありがとう! “帝王・本山”」。本山哲に星野監督、柿元邦彦アンバサダーたちが感謝の言葉

●柿元邦彦アンバサダー

「本山くん、長い間ニッサン/ニスモのドライバーとして活躍してくれてありがとう。心から感謝します」

「3年前の今日、この場所で私が総監督から降りる式がありました。その時、本山くんから感謝の言葉と花束をもらいました。それから3年で逆の立場になるとは当時、想像もしていませんでした。私が総監督でタイトルを獲るときにも大活躍していただいて、心から感謝しています」

「本山くんとの思い出で特に記憶に残ってることがふたつあります。ひとつはル・マン24時間。1998年です。当時は参戦するメーカーが多く、本戦に出る前に予備予選がありました。決勝の3週間くらい前ですね」

「そこで本山くんの乗るR390とワークスチームと同じスペックのポルシェが決勝進出をかけた戦いをしたわけです。ル・マンというのは平均時速が230キロ以上と非常に高速で、しかも本山選手ははじめてのル・マンで怖かったと思いますが、それを打ち破って本戦出場を決めたわけです」

「そのル・マンを戦って帰国したあと、フォーミュラニッポンで初優勝して、その年は最終的にチャンピオンになりました。そのあとの活躍はご存知のとおり日本のトップドライバーとして君臨することになりました。本人は認めないかもしれませんが、あのル・マンの予選でみせた走りで彼は一皮むけたと思っております」

「もうひとつ、スーパーGTでは2011年のオートポリス。予選は12番手でしたが、(後半スティントを担当する)ブノワ(トレルイエ)選手に引き継ぐまでに11台抜きをしてトップに上がっていました。ワンスティントで11台抜きという記憶に残る走りは誰も打ち破ることはないと思っています」

「そういうことができるからこそ、今の”帝王”という異名があり、彼を帝王たらしめていると思います」

「今回スーパーGTから降りるということで、彼は高校生のときからカートの選手として欅(優勝の王冠)をもらってトップドライバーとして活躍してきました。そのトップドライバーとしての役割を終えたわけですが、今後の生き方について思い悩むこともあるんじゃないかと思っています」

「私からのアドバイスは、彼のあとに続く後輩たちがたくさんいます。彼ら後輩たちの道が開けるような行動や振る舞いをしていただきたい。それが私からのアドバイス。ありがとう! 帝王・本山!」

●ミハエル・クルム

「初めて僕が本山さんの名前を聞いたのは25年前。トムスからF3に出ていたとき、たまにとんでもないタイムを出すドライバーがいて、それが本山さんでした」

「本山選手のチームメイトとして、クルマをシェアしていたけど、そのクルマがどれだけ速いのか、その指標が目の前にあるのは大きなことでした」

「誰にも真似できない集中力の高さとか、緊張感を相手に感じさせないオーラ、日本一と言われる理由がよくわかりましたね。自分としても彼に負けないパフォーマンスを出さないといけないプレッシャーがありましたけど、成長することもできました」

「MINEサーキットで一番速いのが本山さん。一回トップで戻ってきて、僕も負けまいと気合を入れたらアウトラップでコースアウトして、その翌周にもコースアウトしてね。本当に怒られた(笑)。2位でチェッカーを受けたけど、本当は簡単に勝てたレースだったね。それくらい、本山さんと一緒に走ることはプレッシャーなんです」

「日本のなかだけじゃなく、世界の舞台でも戦う姿を尊敬している。彼のような特別な才能は誰もが欲しがるし、真似できるものじゃない。本当に感謝しています」

●田中利和CVP

「みんなから言い尽くされてしまいましたけど、本山選手、本当にお疲れさま」

「彼と僕の最初の出会いは96年だったと思います。僕は富士スピードウェイでスーパーツーリング(JTCC)のテストをしていて。ザナヴィ・サニーでしたね。僕はスーパーツーリングの監督をしていて、彼がワークスーツを着てトラックから出てきたとき『こんなに若い子か』と思いました」

「テストを始めて、タイム計測していくんですけど、いきなりタイムを出すんです。本当にすごいドライバーが来たんだなと思いました。鳥肌が立ちました」

「その後の活躍はみなさんがご存知のとおり。ニッサンのそうそうたるワークスドライバーたちの後を純粋に追って、ニッサンの看板を背負って23年間、トップで走り続けてきた」

「ニッサンのいろいろなものを背負って第一線でやってくれました。そのプレッシャーは本人にしかわからないと思います」

「GT500については降りるけど、ほかのレースはやりたいと本人も言っているし、ふだん話していても速く走ることに対する情熱と執着心は変わっていない。これはどんな乗り物になっても変わらないので、引き続きそうだろうし、いろいろなレースに出てほしいと思ってます」

「(本山が横にある23号車GT-Rを指して、これに乗りたいとアピールすると)言うと思った。今日くらいは言わないかなと思ったけど、もう言ったね(笑)。本当に長い間、お疲れ様でした。今後もよろしくおねがいします」


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