スズキで開発ライダーを務め、日本最大の二輪レースイベント、鈴鹿8時間耐久ロードレースにも参戦する青木宣篤が、世界最高峰のロードレースであるMotoGPをわかりやすくお届け。第3回は、サイクリング中に亡くなったニッキー・ヘイデンと第5戦フランスGPでのバレンティーノ・ロッシについて語る。
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彼の死を、まだ受け入れることができない。あまりにも実感がなくて、今は寂しいとも悲しいとも思えない。過酷な事実を受け止めるには、もっともっと時間がかかりそうだ……。
公道で自転車乗車中、交通事故に遭って亡くなってしまった、ニッキー・ヘイデン。ファンや関係者、誰もに愛された男だった。ニッキーこそプロライダーのお手本だと、ワタシは思っている。
いい成績が残せない時も、ニッキーは決してマシンやチームのせいにしなかった。いつだって「タイムが出ないのは僕のせいだ」と言い、どうにかその時のマシンに合わせた走りをしようと、懸命に努力していた。
ダートトラックで腕を磨いたニッキーは、コーナーの進入からリヤを流し、リヤから曲がる走りが武器だった。2006年に彼がチャンピオンになった当時は、まだそういう走りが通用する時代だった。そしてホンダも、エースライダーだったニッキーに合わせたスペシャルマシンを作り、成功した。
その後、徐々にリヤから曲がる走りが通用しなくなり、ニッキーは苦しんだ。2009年、ドゥカティに移籍。シーズン開幕前、マレーシア・セパンサーキットで行われたテストでは、黙々と、そして延々と走り続けるニッキーの姿を見た。フロントから曲がる走りを会得しようと、ライディングスタイルを変えるのに必死だった。
レーシングライダーにとって、ライディングスタイルの変更は非常に大変なことだ。その後、残念ながら成績には恵まれなかったものの、5シーズンにわたってドゥカティのファクトリーライダーでいられたのは、彼のひたむきな努力が周囲に伝わったからだと思う。
マシンに文句は言わない。開発のために必要な評価はしても、決して愚痴は吐かない。マシンの出来がもうひとつという時でも、自分の腕で何とかしようと頑張る……。ニッキーは、まさにプロフェッショナルなレーシングライダーだった。
ニッキーが事故に遭ったのは、公道で自転車に乗っている最中だった。ワタシも公道で自転車のトレーニングをしているし、バイクにも乗る。公道は本当に怖いし、サーキットとは比べものにならないほど危ない。サーキットでの限界走行に比べても、公道は100倍以上リスキーだと感じている。
ニッキーが命を落としてしまったなんて今でも信じられず、本当に残念だが、ワタシはこれからも公道を走る。今まで以上に気を付けなくてはいけないと思っている。