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MotoGP ニュース

投稿日: 2019.06.14 17:18
更新日: 2019.06.14 17:19

誰もがペトルッチの勝利を祝福する理由。無名から昇りつめた過酷なMotoGPキャリア

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MotoGP | 誰もがペトルッチの勝利を祝福する理由。無名から昇りつめた過酷なMotoGPキャリア

 イギリス在住のフリーライター、マット・オクスリーのMotoGPコラムをお届け。第6戦イタリアGPにおいて、ワークスのドゥカティチームで初優勝を果たしたダニロ・ペトルッチ。2011年末に無名の状態でMotoGPに昇格した彼の苦労と努力をオクスリーは語る。

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 ダニロ・ペトルッチ(ミッション・ウィノウ・ドゥカティ)はMotoGP第6戦イタリアGPで、ついに表彰台の最上段に上がったが、結果は非常に異なるものになるところだった……。

 5年前の2014年MotoGPシーズン開幕直前に、すべてのライダーが恒例となっていることを行った。ロサイル・インターナショナル・サーキットのスタート/フィニッシュラインに並び、毎年プレシーズンに撮影される“集合写真”を撮ったのだ。

 いつものように、トップライダーたちが前列に座り、その他のライダーたちが後ろに立った。携帯電話や発電機に至るまで多くのものを宣伝するために、誰もがロゴのついたレザースーツとベースボールキャップを身につけていたが、なかでもとりわけ目立っていたのはエナジードリンクメーカーだった。

 だが、後列の中程に立っていたライダーのベースボールキャップには宣伝のためのロゴは何もついていなかった。その代わりにいかなるMotoGPレースでも滅多に感じられることのないある感情についての言葉が掲げられていた。それは『LOVE』だった。

2014年に参戦したMotoGPのレギュラーライダー
2014年に参戦したMotoGPのレギュラーライダー

 その男の名前はダニロ・ペトルッチで、彼は非常に落ち込んだ状態にあった。彼は2011年末に無名の状態でFIMスーパーストックシリーズからMotoGPに昇格し、3シーズン目を迎えようとしていた。MotoGPでほぼレースにならなかったことはさておき、マルク・マルケスやバレンティーノ・ロッシやその他のライダーが乗っていた250馬力のMotoGPプロトタイプに対し、ペトルッチが乗っていたのは基本的には飾り立てられたスーパーバイク(量産車)だった。

 ロサイルでのスピードトラップで、ペトルッチのイオダ・アプリリアは最速のバイクより時速12マイル(約19.3km/h)遅かった。だがそれでも2013年に時速14マイル(約22.5km/h)遅かった時や、2012年に時速25マイル(約40.2km/h)と格段に遅かった時に比べれば、わずかにましだった。差は若干縮まっているかもしれないが、ペトルッチは毎週末に銃撃戦にナイフで挑んでレースに負けるようなことはもう十分だと感じた。

「僕の人生で奇妙な時期だった。アーティストのキャリアに見られるようなものだったよ!」と日に焼けたペトルッチは語っている。

 彼はイタリアGPの日曜日、MotoGP史上最高のレースのひとつで、0.04秒差で優勝を飾った。「2014年の最初のプレシーズンテストの5日前、ジャンピエロ・サッキ(イオダMotoGPチームのオーナー)から電話があり、資金がないのでテストに参加できないと言われた。僕は完全に打ちのめされ、レースをやめなければと自分自身に言いきかせた。僕は最初の数レースでは、『LOVE』と書かれたベースボールキャップを被っていた。なぜなら僕はパドックの誰に対しても腹を立てなくなかったからだ。ベースボールキャップには、『すべての人に平和と愛を』、と書かれていた」

「僕は無名の状態から2012年にMotoGPに昇格した。完全に標準仕様のアプリリアのRSV4エンジンを積んだ新しいCRTバイクの1台に乗っていた。それはサッキのチームが店から購入したものだ。コースもタイヤも、カーボンブレーキのことも知らなかった。それに僕たちのバイクは信じられないくらい遅かった。その時期、僕は皆に対して腹を立てていた。いつもグリッド順は最後列だし、レースでは最下位だったからね」

 ペトルッチはMotoGPのパドックでは独特な性格の持ち主だ。他のほとんどの人々が手の内を見せないことに腐心している一方で、28歳の彼は率直に心の内を話す。それにグリッド上のほとんどのライダーとは違っている。彼はレース界の実力者に見出されて契約させられ、最高峰クラスへの道をスムーズに案内された神童のひとりではなかったからだ。通常とは異なる険しい道を進み、何度も挫折しかけた。

 彼は、16歳になるまでアスファルトのコースでレースをしたことがなく、ホンダCBR600カップ、そしてFIMスーパーストック600と1000の選考を受けた。

「いつかMotoGPに行くんだとずっと思っていたが、受け始めたトライアルはMotoGPとは程遠いものだった。まるで実際はバスケットボール選手なのに、サッカーのワールドカップに出たがるようなものだった。厳しい年月を過ごしたが、決して他のことは考えなかったし、情熱を失わなかった。僕の第一の夢はプロのライダーになることだった。他の仕事に就く気はなかった!」

2015年イギリスGPで初表彰台を獲得したダニロ・ペトルッチ(Octo Pramac Racing)
2015年イギリスGPで初表彰台を獲得したダニロ・ペトルッチ(Octo Pramac Racing)

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