レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る

MotoGP ニュース

投稿日: 2020.04.01 15:58
更新日: 2020.10.15 15:04

ヤマハOBキタさんの「知らなくてもいい話」:MotoGPの4サイクルの技術規則はこうして決まった(中編)

レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る


MotoGP | ヤマハOBキタさんの「知らなくてもいい話」:MotoGPの4サイクルの技術規則はこうして決まった(中編)

 レースで誰が勝ったか負けたかは瞬時に分かるこのご時世。でもレースの裏舞台、とりわけ技術的なことは機密性が高く、なかなか伝わってこない……。そんな二輪レースのウラ話やよもやま話を元ヤマハの『キタさん』こと北川成人さんが紹介します。なお、連載は不定期。あしからずご容赦ください。

前編はこちらから

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 (MotoGPの前身である世界グランプリの)プレミアクラスの4サイクル化について、当初はブレーンストーミング的な会議に各社レース部門のトップ(部長級)が顔を合わせ、お互いにハラを探りつつも言いたい放題の意見交換が行われた。だが、その場に飛び交った意見が集約するような気配は全くなかった。

 2サイクル500ccマシンに匹敵するか、それを凌駕する性能を発揮するためには、排気量は倍の1000ccくらいは必要だという共通認識はあったが、メンバーの中には「(プレミアクラスは)技術的に困難な課題にチャレンジする場」と位置付けて、排気量はむしろ小さめの800cc程度で、さらに8気筒までを許容する案を推した。だが、楕円ピストン等の傑出した固有技術を持ち込まれては勝ち目のない他社の代表は、なんとか既存の自社技術で対応できる範ちゅうに収めたいと難色を示す……。要するにサーキット以外での勝負なので場外乱闘みたいなものである。

 メンバーの大半は排気量1000cc以下、気筒数は4気筒までが現実的な落としどころと考えていたので、議論は堂々巡り。一向に着地する様子はない。そうこうするうちに誰が言い出したか分からないが、「いっそのこと排気量も気筒数も、フリーにしたらどうか」というような乱暴な意見も出てくる始末。悪いことにその冗談のような提案に件のメンバーが乗り気になってしまったのだ。

 排気量と気筒数をやみくもに増やしてもエンジンは重くなるだろうし、燃料タンク容量を規制してしまえば燃費の問題もあってそんなに性能は出せない、したがってエンジン仕様は一定の範囲に収れんするだろうというのが彼らの理屈である。それでは技術規則の体をなしていないので、気筒数に応じて最低重量を定めるというところでいったんは落ち着いた。しかし今度は、その案を提示された欧州メーカーからいっせいにブーイングの嵐が起こったのだ。

 転機が訪れたのは、出口の見えない議論に疲れたY社の代表が「Kさん(編集部注:北川さんのこと)次のMSMA(Motor Sports Manufacturers Association:モーターサイクルスポーツ製造者協会)の会議は君に任せるからよろしくね」と言って、この重要案件を部下に丸投げしたときである(前述の「すべてフリー」とか言い出したのもこの上司らしい……)。

 丸投げされたほうはたまったものではないが、この膠着した局面を打開するためには理論的で誰もが納得のいく提案が必要と考え、いろいろとデータをこねくり回した挙句にパワーウエイトレシオを一定にするために、気筒数に応じて車両の最低重量を細かく定めるフォーミュラ(公式)を考え出した。排気量は仮に1000ccとし、ピストンスピードと平均有効圧を定めると気筒数毎に最高回転数と最高出力が概算できる。

 そこで気筒数毎の推定最高出力からパワーウエイトレシオが一定になるように車両重量を逆算した結果を気筒数の一次式として単純化したのだ。

[最低重量=105kg+気筒数×10kg]

 というなんともシンプルな計算式。これを次の会議で提案したところ、議論は一気に現実的なステージに引き戻されていった。と思ったのも束の間、その次の会議にはそうはさせじとこれまた理論派の社員を連れてきて反論するメンバーが現れる。いわく、走行データを解析した結果スロットルを全開にできる時間はごくわずかなので、最高出力の大小(つまり排気量や気筒数)はレースの支配的要因にはならない、だから燃料さえ規制すればよいと屁理屈をこねたのだ。

 が、しかし、時すでに遅しで、議論の方向性は排気量1000cc以下で気筒数に応じた最低重量を定める方向に傾いていったのだった。

(後編に続く)

★プロファイル
キタさん:北川成人(きたがわしげと)さん 1953年生まれ。’76年にヤマハ発動機に入社すると、その直後から車体設計のエンジニアとしてYZR500/750開発に携わる。以来、ヤマハのレース畑を歩く。途中’99年からは先進安全自動車開発の部門へ異動するも、’03年にはレース部門に復帰。’05年以降はレースを管掌する技術開発部のトップとして、役職定年を迎える’09年までMotoGPの最前線で指揮を執った。
※YMR(Yamaha Motor Racing)はMotoGPのレース運営を行うイタリアの現地法人。

2011年のMotoGPの現場でジャコモ・アゴスチーニと氏と会話する北川さん(当時はYMRの社長)。左は現在もYMRのマネージング・ダイレクターを務めるリン・ジャービス氏。
2011年のMotoGPの現場でジャコモ・アゴスチーニと氏と会話する北川成人さん(当時はYMRの社長)。左は現在もYMRのマネージング・ダイレクターを務めるリン・ジャービス氏。


関連のニュース