ホンダは世界でも有名な鈴鹿8時間耐久ロードレースで、ほかのどのマニュファクチャラーよりも勝利を飾っている。世界有数のオートバイレースのひとつである鈴鹿8耐は、1978年に第1回目の大会が開かれた。そのころホンダは11年間におよぶグランプリレース休場期間の終わりに差し掛かっていた。レースは1962年にホンダ創業者の本田宗一郎が建設した、鈴鹿サーキット国際レーシングコースで行われた。今回のコラム『ホンダの記録破りの歴史』では、時代ごとに活躍したホンダのマシンとライダーたちを紹介していく。
■V型4気筒エンジン TT-F1時代:1984年~1993年
■1984年優勝者:マイク・ボールドウィン/フレッド・マーケル(ホンダ・アメリカ:RS750R)
1984年の世界耐久選手権とTT-F1シリーズでは、エンジンが1000ccから750ccへ切り替えられた。ホンダの新車RS750Rは、VF750の水冷V型4気筒の市販車エンジンがベースだったが、HRCに初の鈴鹿8耐での優勝をもたらし、RS750のライダーたちは表彰台を独占した。
ホンダ・アメリカのライダーのボールドウィン/マーケル組は、ホンダ・フランスのガイ・ベルタン/ドミニク・サロン組に1周差をつけて優勝した。ジェラルド・クードレイ/パトリック・イゴア組からなるホンダ・フランスのふたつめのチームは、さらに2周差をつけられた。
■1985年優勝者:ワイン・ガードナー/徳野政樹組(チームHRC:RVF750)
ホンダは1985年に伝説的なRVF750を発表した。RVFはEWC/TT-F1技術の最高峰だった。シャシー内のチューニングされたVF750エンジンは、グランプリレースにおけるホンダの経験から引き出されたものだ。
将来500ccクラス世界チャンピオンとなるガードナーとチームメイトの徳野政樹はライバルたちと熾烈な戦いを繰り広げ、ガードナーは最後の2時間の走行で、ホンダに勝利をもたらした。
ガードナーはホンダ・アメリカのボールドウィン/サロン組に1分17秒の差をつけてフィニッシュした。彼らのRVF750は、タイヤ交換を早めるために、シングルサイドスイングアームが取り付けられていた。
■1986年優勝者:ワイン・ガードナー/ドミニク・サロン組(チームHRC:ホンダRVF750)
週末に27万人の観客が見守るなか、ガードナーはポールポジションを獲得した。レースでは誰も彼と新型の6段変速RVF750に追いつくことができなかった。6時間後には、ガードナーとサロンと同一周回にいるのは他の1チームだけになっていたのだ。最終的にガードナー/サロン組は2周差でチェッカーフラッグを受けた。2番目のホンダ勢は、モリワキCBX750に乗る八代俊二/宮城光組で、5位でフィニッシュしている。