2001年までの世界GP(WGP/World Grand Prix)の略称で行われていたロードレース世界選手権。2002年から最高峰のバイクが4ストローク990ccとなり、シリーズの名称もMotoGPへと変更された。しかし、MotoGP初年度は2ストローク500ccマシンと4ストローク990ccマシンが混走する状況でのスタートとなった。2002年から2019年までの『MotoGPの軌跡』を連載形式で振り返っていく。
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2009年シーズンからタイヤがブリヂストンのワンメイクとなった。そして、この年のシーズン終盤の7戦で使用できるエンジンが5基に制限されることになり、これまで以上の耐久性がエンジンに求められることになった。また、フリー走行も3セッションから2セッションに変更されるなど、リーマンショック(世界規模の金融危機)の影響はMotoGPにも及んだ。
最も大きな影響は、カワサキが開幕前にMotoGP活動から撤退することを発表したことだろう。最終的に契約の問題で、カワサキはマシンのみを供給する形でMotoGPへの支援を継続。ハヤテレーシングからマルコ・メランドリがカワサキのマシンを走らせたが、カワサキの名前はマシンのどこにもなく、シーズン中のマシンのアップデートはなかった。
チャンピオン争いは、バレンティーノ・ロッシ(ヤマハ)がブリヂストン2年目のアドバンテージを生かしてリード、シーズン6勝を上げて連覇を達成した。チームメイトでMotoGP2年目となるホルヘ・ロレンソもシーズン4勝を記録してランキング2位につけ、ヤマハが2年連続で3冠を達成した。
ホンダのダニ・ペドロサは2勝を記録したものの、タイトル争いには加わることができず、ランキング3位。ドゥカティのケーシー・ストーナーは原因不明の体調不良のため3戦を欠場、ランキング4位となった。
また、タイヤのワンメイク化はサスペンションにも影響を及ぼし、この年からペドロサのチームメイトとしてホンダのワークスライダーとなったアンドレア・ドビジオーゾはシーズン途中でオーリンズ製サスペンションにスイッチした。
また、この年から高橋裕紀がMotoGPクラスにステップアップしたが、前半戦のオランダGPを終わったところでシートを失ってしまった。サテライトチームはスポンサー獲得などの資金繰りの問題に直面し、チームによっては、ライダーの持ち込むスポンサーや資金に頼らざるを得ない状況となった。この後、レギュレーションのしばりが厳しくなっていく。