ホンダは世界でも有名な鈴鹿8時間耐久ロードレースで、ほかのどのマニュファクチャラーよりも勝利を飾っている。世界有数のオートバイレースのひとつである鈴鹿8耐は、1978年に第1回目の大会が開かれた。そのころホンダは11年間におよぶグランプリレース休場期間の終わりに差し掛かっていた。レースは1962年にホンダ創業者の本田宗一郎が建設した、鈴鹿サーキット国際レーシングコースで行われた。今回のコラム『ホンダの記録破りの歴史』では、時代ごとに活躍したホンダのマシンとライダーたちを紹介していく。
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■並列・直列4気筒スーパーバイク時代:2004年~現在
■2004年優勝者:宇川徹/井筒仁康組(セブンスター・ホンダ:CBR1000RRW)
MotoGPライダーである宇川がまたしても印象強い走りを見せた。これはホンダにとって1982年以来となる直列4気筒マシンでの優勝であり、宇川にとっては4回目の優勝だった。宇川はCBR1000RRをベースに、スーパーバイク仕様を施したCBR1000RRW、その前はV4エンジンのRC45、またV型2気筒のVTR1000と3タイプの異なるホンダマシンで勝利を達成した。
宇川は最初の1時間で首位に立ち、チームメイトの井筒とともに猛烈なペースを出して後続を引き離した。最終的に彼らは直近のライバルの浜口俊之/森脇尚護組に1周差をつけてフィニッシュした。浜口/森脇組はウイダーホンダ学園のCBR1000RRで3位表彰台を獲得した。CBR1000RRはレースを圧倒し、最終的に8台ものマシンがトップ10入りした!
■2005年優勝者:清成龍一/宇川徹組(セブンスター・ホンダ:CBR1000RRW)
ホンダにとって20回目の鈴鹿8耐優勝となり、またも歴史的な勝利となった。宇川にとっては5回目の優勝記録となり、CBR1000RRファイヤーブレードはトップ6を独占した。
清成と宇川は圧倒的に優勢であり、3周という大きな差をつけての優勝だった。クリス・バーミューレン/藤原克昭組は1周遅れながらも、セブンスター・ホンダに印象強い1-2フィニッシュをもたらした。
■2006年優勝者:辻村猛/伊藤真一組(F.C.C.TSR ZIP-FMホンダ:CBR1000RR)
ホンダにとって10年連続となる鈴鹿8耐優勝であり、またもCBR1000RRファイヤーブレードによる1-2フィニッシュが達成された。辻村と伊藤は最初の1時間で首位に立ったが、その後Toy Story RT Run’A & HARC-PROのCBR1000RRに乗る小西良輝/安田毅史組に遅れをとった。レースが中盤にさしかかると辻村と伊藤は首位を取り戻し、チェッカーフラッグまでアドバンテージを維持した。トップ9には7台のCBR1000RRが入った。
■2008年優勝者:清成龍一/カルロス・チェカ組(Dream Honda:CBR1000RR)
ホンダ500GPとスーパーバイク世界選手権の優勝者であるチェカは清成と組み、清成は4年間で2度目の優勝を飾った。レースには多くのドラマがあった。清成は2周目に先頭に出たが、2006年の優勝者であり、辻村猛とともにF.C.C TSRの CBR1000RRに乗る伊藤真一に首位を奪われた。しかし、その後まもなく伊藤が転倒した上に雨が降り始めたため、さらにクラッシュが発生した。このトリッキーな状況のなかで清成/チェカ組はアドバンテージを取り戻した。
ホンダでその後のMotoGP優勝者となるカル・クラッチローが6位でフィニッシュした。クラッチローは山口辰也とモリワキMOTULのCBR1000RRに乗っていた。
■2010年優勝者:清成龍一/高橋巧組(MuSASHi RT HARC-PROホンダ:CBR1000RRK)
CBR1000RRはふたたび優勢となり、またしてもスリリングなレースが繰り広げられた後、表彰台を独占した。清成と高橋はライバルファクトリーチームと首位をめぐる激しいバトルを展開したが、無敵のペースを刻んだ清成が鈴鹿8耐で3度目の優勝を飾った。レース終盤までには、清成/高橋組はKeihin KoharaのCBR1000RRに乗る伊藤真一/玉田誠組に1周という余裕の差をつけていた。
秋吉耕佑とジョナサン・レイは、42番グリッドから劇的な復活を果たし、3位を獲得した。