2001年までの世界GP(WGP/World Grand Prix)の略称で行われていたロードレース世界選手権。2002年から最高峰のバイクが4ストローク990ccとなり、シリーズの名称もMotoGPへと変更された。しかし、MotoGP初年度は2ストローク500ccマシンと4ストローク990ccマシンが混走する状況でのスタートとなった。2002年から2019年までの『MotoGPの軌跡』を連載形式で振り返っていく。
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800cc最後のシーズンとなった2011年は、バレンティーノ・ロッシがヤマハからドゥカティへ、ケーシー・ストーナーがホンダへ移籍した。
ストーナーはホンダRC212Vを得て復活。2011年型のRC212Vはシームレストランスミッションを装備してアドバンテージを得ていた。第2戦スペインでは決勝中にロッシの転倒にストーナーが巻き込まれてリタイアに追い込まれるアクシデントが起こったが、ストーナーは勝てるレースを確実に勝ち、シーズン通算10勝を記録して、2度目のタイトルを獲得し、ホンダは3冠を達成した。第14戦アラゴンGPではレプソル・ホンダとして通算100勝を記録している。
一方のロッシはドゥカティのマシンに苦戦。当初はカーボンフレームのマシンで戦ったが、ロッシのリクエストにより、シーズン後半にはアルミフレームのマシンが用意された。しかし、決定的な改善には至らず、ロッシはランキング6位でシーズンを終えることになった。
ヤマハのエースとなったホルヘ・ロレンソは終盤戦までタイトル争いに加わったものの、オーストラリアGP決勝朝のウォームアップセッションで転倒、終盤3戦の欠場を余儀なくされランキング2位に。 アンドレア・ドビジオーゾがランキング3位、ダニ・ペドロサがランキング4位となった。
また、この年は開幕戦のカタール直前に日本で東日本大震災が発生。その影響で、ツインリンクもてぎも被害を受け、4月に予定されていた日本GPが10月に延期となった。震災発生直後のカタールでは、各マシンに日本を応援するメッセージを書いたステッカーが貼られた。
シーズン終盤のマレーシアGPではマルコ・シモンチェリが決勝中の転倒で事故死する悲劇が起こった。シモンチェリはその前週のオーストラリアGPで自己ベストとなる2位表彰台を獲得しており、MotoGPの決勝はこのアクシデントにより赤旗で終了、レースは不成立となった。