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MotoGP ニュース

投稿日: 2020.08.12 12:05
更新日: 2020.08.12 15:22

最後まで夢を追いかけた岩﨑哲朗。待ちに待ったST1000初レースでのアクシデント

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MotoGP | 最後まで夢を追いかけた岩﨑哲朗。待ちに待ったST1000初レースでのアクシデント

■コワモテだが性格は優しく、走りは熱い男だった

 全日本ロードレース選手権で長年活躍してきた岩﨑哲朗が8月10日(祝・月)、今シーズンより始まったST1000クラスのレース中のアクシデントで亡くなった。享年43。

 岩﨑は、3兄弟の二男として誕生。ミニバイク時代は、岩﨑3兄弟として地元・日光サーキットを中心に有名だった。一時、レースを離れていたが、2007年に知人とエビスサーキットで行われた耐久レースにGSX-R1000で出場したことがきっかけで復帰を決意。

 2008年より弟の朗と共に筑波、ツインリンクもてぎの地方選手権ST600クラスにエントリー。2009年には、両サーキットのシリーズチャンピオンを獲得し、2010年よりRS-ITOHから全日本ロードST600クラスに参戦を開始。2014年にはランキング4位となっている。

全日本ロードライダーの岩﨑哲朗
全日本ロードライダーの岩﨑哲朗

 2015年よりJ-GP2クラスにスイッチ。2016年よりチーフメカニックの坂本崇氏と共同でチームを立ち上げOGURAclutch with パワービルダーとしてエントリー。2017年より現在に続くOGURAclutch with RIDE INとなり勝利を目指すが、2019年いっぱいでJ-GP2クラスが終わることが決まると、その活動を続けていけるか不透明となっていた。そんななか、2019年第6戦岡山国際ラウンドでは、トップ争いを繰り広げ2位となる速さを見せた。

 そんな岩﨑に新たな夢が舞い込んでくる。チーフメカニックの坂本氏と一緒に鈴鹿8耐に参戦することだった。小倉クラッチを始め、多くの人に助けられ全日本ロードST1000クラスにフルエントリー。全日本ロードに上がってからは、カワサキを駆ってきたが、2020年はヤマハにスイッチしてのチャレンジとなっていた。その初戦だったのだが……。

2012年全日本ロード第6戦SUGO:ST600クラスに参戦した岩﨑哲朗(RS-ITOH&ASIA)
2012年全日本ロード第6戦SUGO:ST600クラスに参戦した岩﨑哲朗(RS-ITOH&ASIA)

 岩﨑のレース人生のハイライトは、何と言っても2012年第6戦SUGOラウンドだろう。公式予選では、コースレコードでポールポジションを獲得。決勝でも序盤はやや出遅れるものの5周目にトップに立つと、そのままレースをリード。レース終盤には、スパートをかけ、ほぼ勝利を手中にしていた。しかし最終シケインでまさかの転倒。すぐに再スタートするものの5位という結果だった。

 全日本ロード初優勝を目前としていただけに、その悔しさは、容易に想像できるだろう。チーム員、チームメイトを始め、多くの人が悔し涙に暮れた。これは岩﨑の人柄を表している出来事でもあった。

2019年全日本ロード第6戦岡山:J-GP2クラスに参戦した岩﨑哲朗(OGURA CLUTCH with RIDE IN)
2019年全日本ロード第6戦岡山:J-GP2クラスに参戦した岩﨑哲朗(OGURA CLUTCH with RIDE IN)

 コワモテだが、普段はやさしい口調で周りを和ませる存在だった。コースに出ればアグレッシブで熱い走りで多くの人を魅了してきた。新たな挑戦が始まったばかり。それもSUGOのシケインでのアクシデント……。ご家族やチーム関係者のことを思うと、やり切れない思いもある。しかし鬼籍に入った仲間の分も、ロードレースの魅力を伝えて行かなくてはならないと思いを新たにしている。

 人を不快にさせることのない本当に好きなライダーだった。目をつぶれば笑顔が思い浮かんでくる。哲朗、勝って泣かせてくれって言っていたのに、これじゃぁ違うだろうが……。まだ信じられない気持ちの方が強いけれど、事実なんだろうな。本当に残念だ。


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