更新日: 2021.07.16 09:15
【EWCル・マン24時間】予想外のトラブルや新たな発見。自信がついた多くの出来事/TSRホンダ高橋裕紀インタビュー(後編)
2021年からF.C.C. TSR Honda Franceに加入してFIM世界耐久選手権(EWC)にフル参戦している高橋裕紀。6月12~13日にフランスのル・マン-ブガッティ・サーキットで行われた第1戦ル・マン24時間耐久ロードレースでは初の24時間レース、初の夜間走行を経験した。後編では特殊な24時間レースの決勝について聞いた。
高橋がル・マンでレースをするのはMoto2クラスに参戦していた2013年フランスGP以来となる。決勝では1スティント目に3番目のライダーとしてジョシュ・フック、マイク・ディ・メリオに続き走行を行った。
「緊張もありましたが、24時間もあるし、スタートライダーではなかったですからね。8時間は想像ができますが、24時間は身体がどうなるかわからなかったですね。(攻めて)行かなければなりませんが、ずっと予選のタイムでは走れないし、自分ができる絶対に転倒しないベストのタイムを刻みながら、いかに体力を使わないで走れるかに集中しました」
また、走行はどのスティントも違った課題や問題が起きたというが、高橋は「24時間レースではこういうことが起きるんだな……」と各走行を振り返った。
「(1度目の走行は)フロントブレーキのアジャストにトラブルを抱えているとジョシュに聞き、一発目から波乱でした」
「(2度目の走行は)マイクがバックストレート終わってからガス欠になり、最低限のロスで戻ってきて良かったなという感じでした。ライダー交代で、バイクに乗ってセルを回せば走ると思っていたのにエンジンがかからず、押し掛けしました」
3度目、4度目の走行はマシントラブルがなかったが、路面コンディションが大きく変わったという。
「3、4度目の走行は(トラブルは)特にありませんでした。しかし、日中で気温が上がり、路面温度が50度以上になったため、想定していたものよりも硬いリヤタイヤを決勝中に初めて履きました。温まりで1周目は気をつけなければいけませんでしたが、タイムは同じか少し速く、安定してタイムを出せました」
また、4度目の走行ではYART – Yamaha Official Team EWCがリタイアを喫し、TSRホンダは2番手、WEBIKE SRC KAWASAKI FRANCE TRICKSTAがTSRホンダから1ラップ差で3番手を走行していた。
「(3番手の)SRCカワサキのペースが自分たちと同じか少し良いくらいでした。相手が少しでも追いつくつ夜に突入しても追い上げモードになるので、一回目の勝負所だと言われ、SRCカワサキに近づかれないようにしました」
「勝負しなければいけない時と確実に走らなければいけない時があると言われていたので、まさにこのことだなと思いました。転倒をしてはいけないけど、ギリギリまで攻めました」
「走り出すと、ちょうど差が100秒だとピットからサインが出ていましたが、ずっと変わりませんでした。真後ろにいたみたいで、一回抜かれて離されかけました。しかし、頑張って走りも盗み、向こうのペースに合わせて最終的に抜き返して、差を開いて走行を終えれたので自信のついたスティントになりました」
その後は、現地も暗くなり、高橋は夜間走行を初めて経験する。「固定概念だと思いますが、夜はタイムが落ちるじゃないですか。ジョシュやマイクに聞くと『(タイムは)同じだよ』と言われて、それが自分にできるかという不安がありましたね」
「(事前に)夜間走行をした時はタイムが落ちていましたが、決勝になれば大丈夫と言われていました。決勝で走るまで心配でしたが、慣れると暗くなっても昼と同じペースで走れたんですよね」
「昼の暑かった時よりペース良かったと思うくらいのペースで走れて、そこも自信になりました。夜の2回目のスティントは、気づいたら(周回遅れではあるが)トップを走るヨシムラSERT Motulに追いつき、最終的にパスできたので自信になりました」
レース後半については「疲れや痛みはありましたが、ケアをしてもらっていたおかげで、タイムが落ちたという感覚はありませんでした。2位から6位に落ちた時に残り6時間あり、終盤に2度目の勝負所が来ました」と高橋は話す。
「トップ3は実力では追いつけない差になりましたが、頑張ってペースを維持できれば6位から4位まで戻れる計算が出て、最後の2スティントはペースアップの指示が出たため、疲れている時ですが1分38秒前半でリズム良く走れて、タイムを上げられたのは自信に繋がりました」
高橋は24時間で8スティントの走行を行い、前半の7スティントは35周、最後のスティントはチェッカーを受けたこともあり20周で合計265ラップ周回した。チェッカーを受けた感想は以下のように語る。
「もしすべて順調に行っていればジョシュかマイクでゴールの予定でしたが、レース中のトラブルがあり、イレギュラーで自分が最終ライダーになりました。24時間レースを経験した方の話を聞くと、勝負は勝負ですが、経験して良かったと聞ききましたが、それに近い感覚がありました」
「勝負をしているチーム以外は、完走を目指すためペースも極端に最後の一時間は落ちますが、それを気を付けつつ走行しました。最善のケアをしているチームもあれば、単純に走っているだけのチームもあり、それが目に見えてみんながゴールに向かって走っている姿が見えました」
「序盤だったら無理やり抜いていましたが、お互いのためにも丁寧に抜き、みんながひとつになっている感じがありました。そして、ゴールをすると知らない人とも握手したり、オフィシャルも出てきてくれて、24時間を走った達成感と疲労感が入り交じった経験したことのない感覚になりました」
■24時間レースの走行時以外の時間の過ごし方
8スティントを走り切った高橋だが、3人で24時間を走り切るため、走行時以外の時間も多くの作業をしていたという。
「(走行後は)8スティントすべて、リカバリードリンクとプロテインを飲んで、ご飯をなるべく食べました。その後、マッサージを受けて、寝るためにベッドに移動します。夜間は身体も休めないといけないというプレッシャーが強かったです。1~2スティント目はご飯を食べられましたが、飲み込めなくなり、レースの音も聞こえるので夜は寝れなかったですね」
「早朝6時~7時になり、休憩の時に疲れすぎて寝れそうな感じでした。マシントラブルでコースに出れていないと聞いて、バイクもガレージに入れていると聞きましたが、バイクの心配しても変わらないので寝れる時間が増えたとプラスに捉えて時間を使いました」
「深夜12時くらいから寝る試みはしているんですが、やっと朝の6~7時に数分寝たかなという感覚です。時間的には30~40分ベッドにいる時間はありますが、やっと寝れたと思ったら走行の準備しないといけないという感じでしたね」
「レース当日は朝のフリー走行が早いので、朝の6時半くらいに起きて、日を跨ぎレース後は夕方の4時に一回ホテルに戻れて、でも夕方5時から夜7時までパーティーをすると言われ、その後に部屋に戻ったので土曜日の朝6時半から日曜日の夜7時半で約37時間くらい起きていましたね。こんなに寝ていないのは生まれてから初めてでした」
また、マシンだけではなく、身体にもトラブルが起きたという高橋。対策も行っていたというが、経験したことのない状態になったと語る。
「首の後ろがツナギで擦れてヒリヒリするのはテストから出ていたので、対策で首にワセリンを塗っていました。体重移動や切り替えしをしているので、3スティント目くらいから、お尻もヒリヒリして、お尻にもワセリンを塗りました(笑)」
「もしワセリンがなかったら後半は乗れなかっただろうなと、新たな問題も発見できましたね。手の豆も怖いので、テーピングをしたうえでクシタニさんのプロテクターを付けましたが、手のひらもすごく痛くなります。レース後は、全身筋肉痛で、特に足と腕と背中周りは経験したことのない痛みでしたね」
8度の走行、そして走行外でも多くの学びがあったと述べた高橋。レース全体を通して以下のように振り返った。
「何事もなければ2位を死守できた可能性のあるペースでした。トラブルも誰が悪いとかではなく不運なトラブルで、ジョシュの転倒も残り2時間のなかでペースをもう一回上げてくれと言われての転倒であり、ライダーとして攻めた結果なのでそこも納得できます」
「終わってみて2位だったら違う世界が見えていたと思いますが、逆にあれだけトラブルが起きたのに9位でゴールできる24時間耐久レースはすごいなと思いました。ヨシムラSERT MotulとYARTヤマハは、ずば抜けて速かったですね。BMWやカワサキも速かったですが、その2チームはそれをも上回る速さがありました」
第2戦エストリルの意気込みは「12時間と短くなればペースも変わってくるかもしれないし、第1戦に続きヨシムラSERT MotulとYARTヤマハは速いと思うので、第1戦で得たものは次戦に向けて改善したいです。トップ争いを実力をできるように貢献したいし、エストリルは知っているサーキットなので、記憶を寄り戻して足を引っ張らないように頑張りたいです」とコメントした。
全4戦が開催される予定である2021年のEWC。次戦は今週末の7月17日にポルトガルで第2戦エストリル12時間が開催され、9月18~19日にフランスで第3戦ボルドール24時間、そして11月7日に鈴鹿サーキットで鈴鹿8耐が行われる。F.C.C. TSR Honda Franceは勝利、そしてチャンピオンを目指す。