メルセデスが本格的にモータースポーツ活動を再開したのは1985年のこと。この頃、コンパクトセダン市場に初めて参入した190シリーズのプロモーションを兼ねてグループAやグループNと呼ばれるツーリングカーレースにエントリーするとともに、1986年にはドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)にも参戦。
1996年にはDTMが国際ツーリングカー選手権(ITC)に発展したものの、同年限りで参加者を失って空中分解すると、今度はCLK-GTRでスポーツカーレースへの挑戦を始める。ところが、その発展形であるCLRで1999年のル・マンに挑戦したところ、エアロダイナミクスの問題からストレートを走行中に宙を舞うアクシデントを繰り返すことになる。
幸いにもドライバーや観客が負傷することはなかったが、1955年を思い起こすこの事故をきっかけにしてル・マン参戦も休止に追い込まれてしまう。
こうして行き場を失ったかに見えた彼らのモータースポーツ活動を救ったのは2000年に復活したDTMだった。旧DTMが終焉を迎えた要因のひとつにコストの高騰があったことから、開発費の抑制に取り組んだ新DTMは現在も活況を呈していることはご存知のとおり。いまもDTMに参戦するメルセデスは、3社のなかでもっとも多くのタイトルを勝ち取ったメーカーとして歴史にその名を刻んでいる。
一方、現在に続くF1参戦は、1985年にスイスのザウバーとともにグループCレースに挑んだことに端を発している。メルセデスが開発したV8エンジンを搭載するザウバーのグループCカーは、1990年に世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)でドライバーとコンストラクターのダブルタイトルを獲得。しかし、同選手権は1991年をもって消滅し、彼らは一時的に活動の場を失うことになる。