レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る

国内レース他 ニュース

投稿日: 2019.06.20 11:58
更新日: 2019.06.22 10:26

ホンダのサポート喪失から這い上がった阪口晴南。「やっぱりドライバーとして生きていきたい」

レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る


国内レース他 | ホンダのサポート喪失から這い上がった阪口晴南。「やっぱりドライバーとして生きていきたい」

 阪口晴南が、岡山で開催される全日本F3選手権第3大会にトムスからスポット参戦しないかと連絡を受けたのはレース直前のことだった。レース2週間前に小高一斗がエントリーできないことになり、トムスとしては急きょ代役を立てなければならなくなった。

 そこで候補に挙がったのが阪口と笹原右京だったというが、最終的にトムスは阪口起用を決めた。

「ギリギリのタイミングで電話がかかってきて、びっくりしました。これはしっかり準備して結果を残さなくちゃな、と思いました」

 トヨタの若手ドライバー育成プログラムの中心で活動するトムスが阪口起用を決めたことには驚きの声があがった。というのも阪口は昨年までホンダの若手ドライバー育成システムの王道を突き進んだ選手だからだ。

 阪口は2009年、SRS-Kに入学。2015年にはSRS-Fを主席で卒業し、16歳で限定Aライセンスの発給を受けてFIA-F4に途中参戦と、ステップアップの最短距離をたどる。さらに2016年はHFDPからFIA-F4、並行してHFDPレーシングから全日本F3選手権へ進出と、その勢いはさらに加速したように見えた。

 だが、一方で阪口に期待するあまり、過剰な負荷をかけすぎているのではないかと危惧する声があったことも事実だ。案の定、16年はFIA-F4でランキング2位につけたもののF3では9位に終わり、F3に専念した翌2017年も6位。思うようにクルマを操れない悔しさに、パドックで沈む姿を何度目撃したことか。

 2018年は全日本F3選手権ではホンダ系サテライト的位置づけの戸田レーシングからシリーズを戦った。この年は全日本スーパーフォーミュラ選手権の第2戦オートポリスにスポット参戦。公式予選でQ2へ進出したものの、決勝は悪天候でキャンセルとなり、それ以降チャンスは巡ってきていない。F3では最高位は2位、ランキングは4位。レーシングカート時代からの勢いに比べれば、まさに失速であった。

 そして2018年末、阪口はレース人生で最悪の状況に陥る。ホンダの育成プログラムから「2019年には乗せてあげられるクルマがない」と、事実上のサポート打ち切り通告を受けるのだ。

「それまではずっとホンダさんの育成プログラムのなかで走っていたので、そう言われたときはやっぱり辛かったし悲しかったし悔しかった」と、阪口は心境を語る。「これで、みんなに『阪口は終わった』と思われちゃうのかもしれないなとは考えましたし、ぼく自身今後レース活動を継続できるかどうかと悩みました。でも考えているうち自分はやっぱりドライバーとして生きていきたい、レースをしたいという気持ちが強まっていきました」。

 どん底にあった阪口にGT300に乗らないかという話がもたらされたのは2019年1月のこと。フォーミュラ路線を突っ走ってきた阪口にとっては未知の世界への挑戦だったが、つかんだチャンスに阪口は燃えた。

「去年のレースを観ていて、戦闘力の高いクルマだということは知っていましたし『ああ、ここに加われるのは非常に光栄だ』と嬉しかったです」

 そして阪口は結果を残す。ここまでシリーズ3戦中2勝。ルーキーらしからぬ破竹の進撃である。

「ルーキーですが落ち着いてレースができました。育成時代、いろいろ悔しい思いもしましたけれど、そこでの経験が活きたんだろうなと思うのでこれまで育成してくれた方々にも感謝したいです。トムスから声がかかったのもGTを見ていてくださったからなんでしょうし、ある意味認められたんだなと、嬉しく思います」

 岡山での第3大会で、阪口は5位、3位、4位という結果を残した。この結果についてこう自己評価する。

「予選がすべて。ぼくのなかでは、ぎりぎり最低限の結果です。勝てると思ってレースウイークに入りましたから、勝てなかったのが悔しい」

 育成プログラム確かにステップアップの王道である。だがレースが学校ではなく勝負事である限り、その近道から振り落とされる者も必ず生まれる。言い換えれば、育成システムは自動的に上階へ運んでくれるエスカレーターではないのだ。

 近年、育成システムの脇道から這い上がって活躍する選手が増えてきた。たとえば関口雄飛。たとえば小林崇志。阪口もまた、そこで身につけた技量を武器に自らの道を切り拓きはじめた。前途は容易ではないが、闘争心を失うことなく勝ち上がることを期待する。


関連のニュース