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F1 ニュース

投稿日: 2018.06.06 18:12

ロリー・バーンが語る“生涯忘れられないマシン”。カリスマを開眼させたベネトンB194

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F1 | ロリー・バーンが語る“生涯忘れられないマシン”。カリスマを開眼させたベネトンB194

 GP Car Story第24弾は、疑惑のチャンピオンカー『ベネトンB194』を特集。セナの事故死で混沌とする1994年のF1界、台頭著しいシューマッハー&ベネトンは、新しい王に就かんとその力を遺憾なく見せつける。

 しかし“規則違反”を理由に何度となくペナルティを科せられて激しいバッシング。B194は両者に初タイトルをもたらしたものの、『疑惑のクルマ』のレッテルは最後まで剥がされることはなかった……四半世紀の時を経て、マシン開発の当事者であるロリー・バーンやパット・シモンズらを直撃! 彼らは一様に「濡れ衣」と言うが、果たしてその真相は?

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 1994年シーズン、ミハエル・シューマッハーはベネトンB194を駆って初のワールドチャンピオンに輝き、自身の伝説の幕を開けた。

 しかし、希代の名ドライバー、アイルトン・セナと新人のローランド・ラッツェンバーガーを失ったイモラでの惨事がその後のF1に異様なほどの変化をもたらし、史上最悪のシーズンのひとつとして認知されたことで、シューマッハーの初戴冠の偉業は陰に隠れてしまった。実際にはこのシーズンをシューマッハーとベネトンは、圧倒的な強さで制覇していたのだが……。

 シューマッハーとB194は、開幕戦ブラジルGPから絶対的な速さを発揮して優勝。その後もパシフィック、サンマリノ、モナコGPで4連勝を記録するなど、シーズンを通して8勝を挙げた。それも失格&出場停止で4レースも失いながらの8勝は、もはや驚異と言うしかないだろう。

■手書きで書き上げたフルスケールの図面

 B194はコスワース開発のフォード・ゼテックR V8エンジンを搭載するコンパクトなマシンとして登場した。生みの親は天才デザイナーのロリー・バーンで、彼もまたこのB194で初めてチャンピオンを獲得し、カリスマデザイナーへの第一歩を踏み出したのだ。

「私がレイナードから再びベネトンへ戻ったのが91年11月だった。しかし、ベネトンには92年向けのマシン開発プログラムがいっさい存在しなかったんだ(筆者注:B191から開発のすべてはジョン・バーナードのGTO(ギルフォード・テクニカル・オフィス)で行なわれていたが、B192の開発プログラムがGTOで始まる前にバーナードは解雇された。その結果、B192の開発は事実上行なわれておらず、ベネトンには開発データが何も存在しなかったと考えられる。同じ状況は、バーンがフェラーリへ移籍した時にも発生した)。

 私がロス・ブラウンとトム・ウォーキンショーと合流した段階でも、B192の開発はまったく手がつけられていなかった。手元にあるのは開発コンセプトが見えず、信頼性も低く、走るたびにどこかが壊れてしまうようなB191があるだけで、特にコンポジットサスペンションは本当にひどかった」

 最悪の状況下でベネトンに復帰したバーンはまず、B191の改良に取りかかる。

「わずか1カ月で新車を開発するのは無理だし、風洞のプログラムもまったく機能していなかったので、仕方なくB191を走れるように改良したB191Bで92年シーズンをスタートした。91年のレイナード時代の資料やデータは手元になかったが、私が覚えているデータを使えば、とりあえずはかたちにできるとロスやトムには伝えた」

「ふたりともその意見に賛成してくれたが、現実的な問題としてほかに方法はなかったんだけどね。トムのオフィス(TWR)にフルスケールの製図板を置き、記憶をたどりながら図面を書いたよ」

 バーンはこの時、すべてのボディワークと各セクションの図面をひとりで描き上げている。しかも手書きのフルスケールでだ!

フルスケールの製図板で記憶を頼りに図面を書いたというロリー・バーン

 開幕3戦をB191Bで戦ったベネトンは、第4戦スペインGPからバーンがデザインしたB192を投入した。そして、初戦でいきなりシューマッハーが2位表彰台を獲得している。

「ハイノーズを採用したB192だが、元々レイナードでもそうするつもりだった(B191はバーナードが開発したことになっているが、ハイノーズコンセプトはバーンがB191に採用する予定だったもので、それをバーナードが取り入れた)。ハイノーズは(ジャン‐クロード)ミジョーがティレルのマシンに採用したもので、結果的に彼はそのアイデアを諦めてしまうが、我々がそれを進化させたんだ。フロアの効果が急激に増し、リヤのダウンフォースも大幅に向上した」とバーンは、新コンセプトへの進化を回顧する。

「B192はコンベンショナルカー&マニュアルシフトのギヤボックスだったが、翌年のB193Bはスーパーハイテクマシンだった。ありとあらゆる部分で、ハイテク制御を可能にしたんだ。サスペンションだけではなくジオメトリーのアクティブ変化や4輪操舵もハイテク制御で行なっていたし、ラウンチコントロール、トラクションコントロールも使っていた」

「なかでも、ライドハイトはアクティブサスペンションとは別にマニュアルスイッチを設けていて、ドライバーの必要に応じてリヤのライドハイトを変更できるようにしていたし、同じようにフロアアングルも選べた(現在で言うレーキ角のこと)。B193Bのアクティブライドハイトの制御も4輪操舵も、きわめて効果的だったよ」

■B194がエアロダイナミクスの基礎を築いた


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