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F1 ニュース

投稿日: 2016.08.20 20:00
更新日: 2016.08.20 21:48

【夏休み特別企画】2000年以降のF1ベストシーズン(2)

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F1 | 【夏休み特別企画】2000年以降のF1ベストシーズン(2)

 英AUTOSPORTの編集者、グレン・フリーマンが2000年以降のF1シーンを振り返る特別企画。今回は蒼きマタドール、アロンソと、マクラーレンのシンデレラ・ボーイ、ハミルトンの初のタイトルイヤーをご紹介。

2005年:ルノー、フェラーリの牙城を崩す

 フェラーリが2004年に再びシーズンを支配したことを受け、FIAはレース中のタイヤ交換禁止というレギュレーションを導入した。フェラーリとブリジストンはこの変更の煽りを受け、ミハエル・シューマッハーはフェルナンド・アロンソとルノー、そしてミシュランの台頭に為す術なく敗れた。

アロンソが初のタイトルを獲得。インテルラゴスで勝利の雄叫びを上げた
アロンソが初のタイトルを獲得。インテルラゴスで勝利の雄叫びを上げた

 2005年は、後年に爪痕を残すシーズンである。ミハエルとアロンソが勝利を賭け、イモラで繰り広げたバトルは翌年まで持ち越されることとなった。また、ルノーとマクラーレンの開発したマシンは、5年に渡り続いたフェラーリが制してきたF1に新鮮な風穴を開けた。とりわけ、マクラーレンのMP4-20は非常に強力なマシンであった。

速いが、壊れる”ガラスのマシン“MP4-20
速いが、壊れる”ガラスのマシン“MP4-20

アロンソを初タイトルに導いたルノーR25
アロンソを初タイトルに導いたルノーR25

 じつに13人のドライバーが表彰台を獲得したという、シーズンで最も印象的な統計も見られた。そのうちの1人、ティアゴ・モンテイロはジョーダン・チーム最後の表彰台を、ブリジストンタイヤを履くわずか6台のマシンで争われたアメリカGPで獲得した。安全上の理由から、ミシュラン勢が全車欠場という物議を醸したこのGPで、ミハエル・ミハエルは2005年シーズンで唯一の勝利を挙げた。

ブリジストンユーザー6台によるアメリカGP。2000年代最大の”珍事“
ブリジストンユーザー6台によるアメリカGP。2000年代最大の”珍事“

 マクラーレンは、多くの信頼性の問題に悩まされていなければ、アロンソとタイトルを賭け、激しく争っていた可能性が高いが、少なくとも、ライコネンとモントーヤの2人が残した17戦中10勝という成績には満足していることだろう。

2005年日本GP。17番グリッドからの大逆転。キミ・ライコネンのベストレースのひとつ
2005年日本GP。17番グリッドからの大逆転。キミ・ライコネンのベストレースのひとつ

琢磨にとっては厳しいシーズンとなった。翌年、スーパーアグリF1チームのエースに
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