2018年、ホンダF1はトロロッソと組んで新しいスタートを切った。新プロジェクトの成功のカギを握る期待の新人ピエール・ガスリーのグランプリウイークエンドに密着し、ガスリーとトロロッソ・ホンダの戦いの舞台裏を伝える。
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自身がF1フル参戦した最初の年に、9シーズンぶりに自国フランスGPが復活した。それだけにこのレースに賭けるピエール・ガスリーの思いは、他のグランプリよりはるかに強かったはずだ。しかしその期待は、果たせずに終わってしまった。
4本の長いストレートを備えるポール・リカールは、いわゆるパワーサーキットの範疇に入る。とはいえ直線スピードとトラクションに優れる今季のトロロッソ・ホンダのパッケージなら、さほどの困難は感じないはずだった。実際、初日フリー走行はトップ10前後の速さを安定して披露できたが、二日目に入って突然失速してしまう。
Q1は順当に10番手タイム。Q2もセッション終盤まで11番手に留まっていたが、チェッカー間際にザウバーのシャルル・ルクレールらにばたばたと先行され、14番手に終わった。
「長いストレート、特にセクター2で全然伸びなかった」のが原因だったと、不満を漏らすガスリー。となるとパワーユニットの不具合、あるいはエネルギーマネージメントがうまく行かずに、回生エネルギーが切れてしまった可能性もあった。
しかし田辺豊治ホンダF1テクニカルディレクターは、「データ上、不具合は出ていないし、デプロイの問題もなかった」と断言。同時に「車体側とも連携して、解明していきます」と、パッケージ全体の問題の可能性も示唆していた。
それでも決勝レースはしっかり走り切れば、ロングランペースは悪くなかっただけに、ポイント獲得は十分に可能だった。しかしスタート直後、ロマン・グロージャンがエステバン・オコンに接触し、それによって順位を下げたオコンとガスリーがターン3でぶつかってともにリタイヤという、地元フランス人3人が絡む最悪の結果に終わってしまった。
「突然エステバンが、インに寄せてきた。おそらく僕を見てなかったんだろうね。僕には何もできなかった」と、言葉少なに語るガスリー。
ともにフランス西部で生まれ育ったガスリーとオコンは、カート時代からの大の仲良し。そもそもサッカー少年で、ジダンを崇拝していたガスリーがカートを始めたのも、オコンの父親の薦めだった。今回の事故で二人の信頼関係が揺らぐはずもないが、ガスリーにとっては少しでも早く忘れたいレースになってしまった。