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F1 ニュース

投稿日: 2019.04.24 13:46

スペイン人ライターのF1便り:F1グランプリ1000回目の知られざる真実

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F1 | スペイン人ライターのF1便り:F1グランプリ1000回目の知られざる真実

 スペイン在住のフリーライター、アレックス・ガルシアのモータースポーツコラム。F1第3戦中国GPではF1グランプリ1000戦目のお祝いムードだったが、F1の長い歴史をひも解くと複雑な事情が垣間見える。

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 2019年4月14日、F1は1000回目のレースを迎え、世界でも他のモータースポーツがまだ達成したことのない、偉大な節目に到達した。F1のマーケティングの専門家たちは、中国GPは“1000回目のグランプリ”であることを公に知らしめ、一方で世界中の多くのメディアは“1000回目のF1レース”として報道した。

 しかし実は、こうした呼び方はどれも真実ではない。実際のところ、唯一の正しい言い方は、我々が“ドライバー世界選手権としての1000回目のレース”を目にしたということだろう。実際の数字にはさらに多くの秘密が隠されているのだ!

 まず、一番の問題を見てみよう。なぜ中国GPがF1の1000回目のレースではないのか?また、なぜ1000回目のグランプリでもないのか?

 これを理解するためには、選手権が始まった1950年まで時間をさかのぼる必要がある。我々はF1世界選手権と言うけれども、当時はそのようなものは存在しなかった。当時のシリーズ名はドライバー世界選手権と呼ばれており、“F1”はマシンを規定するレギュレーションのひとつでしかなかった。基本的には“LMP1”や“GT3”と同じもので、マシンに向けた特定のレギュレーションを識別する名称だった。

 当然ながらこのことは、世界選手権にはF1マシンが出ないレースもあり得たことを意味する。1950年から1960年には実際にそのような状況があった。インディ500がシリーズに含まれていたからだ。皮肉なことに、ほとんどのヨーロッパのドライバーはインディアナポリスに参戦しなかったし、一方のアメリカ人ドライバーは、ヨーロッパのレースには出ようとはしなかった。

 そのため実際には、インディ500は最終ランキングにとってはそれほど重要ではなかった。タイトルを巡る戦いに影響を与えることがなかったからだ。それでもなお、11レースが“グランプリ”ではなかったことになる。要するに、中国GPは実際には“グランプリ”の名前を冠した989回目の世界選手権だったのだ!

 だが物事は、歴史においてしばしばそうであるように、さらに複雑になる。なぜなら1952年と1953年には、世界選手権はF2のレギュレーションのもとで運営されたからだ。

 当時もF1マシンは非常に複雑で高価だったため、参戦していたアルファロメオは新たなマシンを用意する資金がなかった。そしてイギリスのコンストラクターたちにとっての問題は、フェラーリだけが唯一の強力な競争相手であることだった。その時点で主催者は、短期的な解決策としてF2レギュレーションを採用することを決めた。


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