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F1 ニュース

投稿日: 2019.05.01 07:00
更新日: 2019.04.28 20:33

【アイルトン・セナの思い出】PART5:鈴鹿で2度のクラッシュを引き起こしたセナ・プロ対決

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F1 | 【アイルトン・セナの思い出】PART5:鈴鹿で2度のクラッシュを引き起こしたセナ・プロ対決

 5月1日で、レース界の伝説アイルトン・セナが死去してから25年になる。1994年のサンマリノGPの週末は酷いものだった。ローランド・ラッツェンバーガーが予選中に事故で死亡し、翌日には決勝レース中に、セナが単独クラッシュで命を失ったのだ。

 元マクラーレンの会長兼CEOのロン・デニスは、1988年から1993年にかけてマクラーレンに在籍し、3度の世界タイトルをチームにもたらしたセナについて、多くの思い出を持っている。

 これは本シリーズにおける、セナについてのデニスの5回目の談話だ。

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 セナとアラン・プロストは、鈴鹿において有名な2度のクラッシュを引き起こしている。最初のクラッシュは1989年の日本GPで、当時マクラーレンのチームメイトだったふたりがシケインで衝突したのだ。結果として、プロストが世界選手権タイトルを獲得することになった。

 翌年の1990年、プロストはフェラーリに移籍していたが、タイトルはまたもセナとプロストの間で争われていた。セナは1989年のレースについて、自分が被害者だと感じて当時も腹を立てたままだった。彼はレーススタート直後に、故意にプロストをコースから押し出し両者リタイアとなったのだ。この結果、セナは前年の復讐を果たし、世界タイトルを獲得した。

「誰もが弱さを持っている」とデニスは語った。

「アイルトンは独自のガイドマニュアルを持っていて、目には目を、歯に歯を、と書いてある章を読んだのかもしれない。彼は基本的にバランスを取ろうとしていた。特に自身が不快に思う行動を正当化するやり方を見つけようとしていた。だが彼が考えていたのは、帳尻を合わせるやり方だった」

「私はそのことを支持してはいなかったが、その恩恵にはあずかった。なぜなら我々はタイトルを獲得したからだ。だが、その後行われた話し合いのなかで、我々は手段を選ばずに勝つことはしない、ということになったよ」

「彼は自分のその時の判断を特に誇りに思ってはいなかったと思う。その時の彼は最高というわけではなかったし、判断に満足していたわけでもなかった。結果を根拠に彼がその出来事を正当化できるとしても、私は結局のところそうは思わない。彼はあの出来事なしに世界タイトルを勝ち取りたかったはずだ」


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