レッドブル・ホンダのモータースポーツアドバイザーを務めるヘルムート・マルコは、同じオーストリア出身のニキ・ラウダとは元ドライバー同士で親密な友人関係にあったこともあり、彼の死には個人的に大きなショックを受けたと述べている。
マルコとラウダはともに50年前、モータースポーツのジュニアランクでキャリアを始め、ふたりのアイドルだったヨッヘン・リントの後を継ぐことを夢見ていた。
1971年、両者はオーストラリアGPでF1へと昇格した。しかしながらレースの最高峰におけるふたりの道筋は、1年後に別れることになった。マルコはフランスGPで石がバイザーを貫通し、片目を失明する事故にあい、F1でのキャリアを終えなければならなかったのだ。
40年後、元ライバルのふたりはF1界の両端にいた。ラウダはメルセデスAMG F1のチェアマンに任命され、一方のマルコはレッドブルのグランプリレース参入を監督していた。
レースデーにどちらのチームが優勢だったかは関係なく、彼らの友情は少しも揺らぐことはなかった。
「彼の状態が良くないことは知っていたが、それでもニュースが飛び込んできたときにはショックを受けた」とマルコはオーストリアのテレビチャンネル『oe24.TV』に語った。
「レーシングキャリアを通じて、ニキは変わることなくずっと私の仲間だった。ドライバーとしても経営陣としてもね」
「多くのことを経験したし、多くの体験や楽しい出来事を分かち合った。そしてこのようなことになった」
「辛いことだ。個性やユーモア、率直さという点で、彼に近づけるような人物はF1界全体でもひとりもいない」
マルコは、1972年に彼のF1キャリアが悲劇的な終わりを迎える前に、フェラーリのドライバー候補となっていたことを明かした。1973年の終わりにラウダはフェラーリと交渉を始め、契約上の助言をマルコに求めたという。
「彼は最初BRMのシートを獲得し、その後フェラーリに移った。彼は私にエンツォ(・フェラーリ)との最初の契約交渉に同行してくれないかと頼み、我々はモデナまで一緒にドライブしたんだ」とマルコは振り返った。
「私は心の中で思った。『ニキはこうしたことすべてを受け継ぐことになる。不公平ではないか?』と。だが厳密に考えれば、私はどのみちもうF1ドライバーではなかった。それに、他の誰でもなくオーストリア人の彼がその立場にいることを、嬉しく思うようになった」