2019年F1第13戦ベルギーGPは、フェラーリのシャルル・ルクレールがポール・トゥ・ウィンを達成。親友のアントワーヌ・ユベールに勝利を捧げた。F1ジャーナリストの今宮純氏が週末のベルギーGPを振り返る。
————————-
幻の“2勝”、第2戦バーレーンGPと第9戦オーストリアGPで成し得なかったフェラーリのシャルル・ルクレールが、第13戦ベルギーGPで史上108人目のF1勝者となった。年に一度、モンテカルロでしか聴かれないモナコ国歌がスパ・フランコルシャン・サーキットに流れた。やや長く感じられた間、彼はなにかに耐えているようだった。なんどか溜息をついた。勇壮なイタリア国歌に変わると小さく笑みをうかべたルクレール。よほどつらかったのだろう。
前日行われたFIA-F2で22歳アントワーヌ・ユベールが多重クラッシュによる大事故でレース人生を終えた。ルクレールとピエール・ガスリー(レッドブル・ホンダ)、エステバン・オコンはカート時代を“同期生”として過ごしてきた仲だ。故人と親友の間柄のガスリーをルクレールはフェラーリの自分専用の部屋に呼び入れ、ふたりだけで偲んだという。
死亡事故が起きた翌日に同じコースに向かい、その現場コーナーで競いあうのがF1レーサーの『さだめ』である。しかし個人的に思い返すのは25年前のサンマリノGP、土曜にローランド・ラッツェンバーガーが亡くなり、翌日にアイルトン・セナが逝った週末のことだ。一夜の間に受けとめ平常心を取りもどし、コクピットに乗り込むには覚悟が要る。
96/97年生まれの彼ら新鋭世代は苦悶の一夜を過ごしたことだろう。日曜当日、「RACING FOR ANTHOINE」追悼の儀式がグリッド上で執り行われた。故人のご遺族が参列、気丈な振舞いと感じた――。
スタート・タイミングがやや早めに思えた瞬間、5番手マックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)は出遅れた(前半戦にもしばしばあったが)。ここは1コーナーまでが短距離で減速ポイントは毎年混み合う、ベルギーGP最初の勝負コーナー。