1996年、ウイリアムズは3年ぶりにダブルタイトルを奪還した。それもチーム史上年間最多の12勝をマークする圧勝だった。にもかかわらず、この年のFW18は歴史のなかであまり高い評価を得ていない。というにも、この年は、デイモン・ヒル、ジャック・ビルヌーブによる史上初の二世ドライバー同士の頂上決戦に注目が集まり、ドライバーが主役のシーズンになってしまったことも無関係とは言えない。
毎号1台のF1マシンにフィーチャーし、マシンが織りなすさまざまなエピソードとストーリーを紹介する『GP Car Story』。現在発売中の最新刊Vol.29では、この過小評価される名車FW18を特集。ホンダ・ターボ時代やアクティブサスペンション時代のような目に見える“強さの象徴”こそないFW18だが、目立たぬところで現代F1に通じるアイデアが多く盛り込まれていたことを知ると、なぜFW18があそこまで強かったのか理解できるはず。
そのFW18を駆り、悲願の親子二代チャンピオンに輝いたデイモン・ヒルのインタビューを全文公開!
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■文句なしのクルマ
──FW17は1995年タイトルを手にして当然のクルマでしたか?
「手にして当然ではなく、取り逃がしたと言うべきだろう。可能性は十分あったが、諸般の事情により果たせなかった。私の考えでは、理由はひとつ。ウイリアムズは、タイトルを獲るためには手段を選ばない、というようなチームではなかったということだ」
「ベネトンは実質的にミハエル・シューマッハーのワンマンチームだから、彼を徹底的にマークすれば当然勝機は増す。でもウイリアムズは、そういう戦い方を潔しとしない頑固さというか、良く言えば矜恃みたいなものを持っていたんだ」
「だからこそ私は、ミハエルと本気で勝負しながら、同時にチームメイトのデビッド・クルサードをも相手にしなければならなかった。みすみす敵にポイントをプレゼントするようなもの、と思うこともままあったよ。しかし、ウイリアムズの名誉のために、ドライバーに勝利への意欲とそのチャンスがあればチームは邪魔をしたりはしなかった、ということは言っておこう。それくらいレーシングスピリットを大切にしていたんだよ」
──95年のFW17から96年のFW18への技術的移行について、どんなことが印象に残っていますか?
「95年のクルマは、取り立てて不満のないレベル。一方96年型は、文句のつけようがないクルマに仕不がっていた。アタマの先から尻尾まで、すべてエイドリアン・ニューウェイが仕不げた最初のクルマだ。つまり、それくらい自由にやっていいという権限を与えられていた」
「最初に彼から言われたのは、私の身体にピッタリ合うクルマにしてやる、ということ。それまで窮屈じゃないクルマに出会ったことなんてなかったからうれしかったね。F1ドライバーは小さくてかわいい足をしたやつらばかりだけど、私のはウチワ並みに幅広で、ペダル操作でいつも苦労していたんだ。そのうえ私は不背もかなりあったので、いつも身体を折り曲げるようにしてやっとコクピットに収まっていた」
「FW18のシートに初めて腰を下ろした時、どこもかしこもピッタリで感動モノだったよ」
──新規に義務づけられたヘッドレストにもチームは巧妙に対応しましたね。ウイリアムズと見比べるとフェラーリはまるでアームチェアのようでした。
「エイドリアンがルールの迂回路を見つけたんだ。規則を真に受けたフェラーリは、本当に不格好だったね。FW18は、今でも充分通用する美しさだと思うよ。シンプルで扱いやすく、運転していて心から楽しいと思えるクルマだった」
「重量配分が理想的で、しかも空力バランスに優れているから、唐突な挙動というのがほとんどないのさ。少しきっかけを与えてやるだけで、意のままに操れる。ドライビングフィールを言葉にするとしたら、まさにうっとりという感じかな」