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F1 ニュース

投稿日: 2020.03.20 11:55
更新日: 2020.03.19 15:59

今明かされるデイモン・ヒル戦意喪失の理由。「仲間を殺しそうになるような間抜けであることに自分自身が耐えられなかった」

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F1 | 今明かされるデイモン・ヒル戦意喪失の理由。「仲間を殺しそうになるような間抜けであることに自分自身が耐えられなかった」

 1998年、ジョーダン・グランプリへ移籍したデイモン・ヒル。ジョーダンは中堅チームからトップチームへの階段を登るために必要なピースとしてヒルを抜擢した。それまでのジョーダンは、基本的に若手起用を念頭に組織作りを行ってきたチームだった。将来有望な若手を契約ごとトップチームへ売り渡すことで成長を続け、まさに中堅チームの模範的なスタイルを貫いてきたと言える。

 それはチームオーナーであるエディ・ジョーダンのポリシーだった。彼にとってはドライバーもクルマのパーツの一部でしかない。それはトップチームのように資金が潤沢にあるわけではない中堅チームのオーナーならではの考えだった。そんなエディの意思に反して、チームは元ワールドチャンピオンのヒルを招き入れた。勝ち方を知るヒルを加入させることで、チームをさらに一段上のステージへあげるためだった。

 過去に雇ったドライバーとは桁違いの契約金に当初エディはヒル加入の案に猛反対したが、結果的に元チャンピオンがチームにもたらした影響力は計り知れなかった。移籍初年度からチームに初優勝をもたらしたヒル、ウイリアムズ時代から過小評価され続けたベテランは、アロウズ、ジョーダンと中堅チームで垣間見せた力走により間違いなくそれまで辛口だった評論家たちを黙らせた。

 無限ホンダと提携2年目の1999年、表立って公言はしなかったが、チームも無限ホンダも目標はタイトル獲得だった。もちろん、そこにヒルが大きく関わると誰もが思ったに違いない。シーズンが開幕するとジョーダン199はたしかに善戦した。しかし、その大半はチームメイトであるハインツ-ハラルド・フレンツェンが駆る199であり、ヒルが駆る199からは輝きが見えず、彼自身にもどこか心ここにあらずといった印象だった。その最中、ヒルは現役引退を発表する。

 毎号1台のマシンを特集し、そのマシンが織り成すさまざまなエピソードを紹介する『GP Car Story』。最新刊のVol.31では、ジョーダン199を特集。このページでは、選手権争いまで演じた僚友の影で葛藤の日々にいたデイモン・ヒルのインタビューを全文公開する。あの日の心のうちを素直に話してくれているインタビューは、一読の価値ありだ。

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■楽しくはなかった

──1998年の後半はとても好調で、スパでは優勝を飾りました。どのような気持ちで1999年シーズンに臨んでいたのでしょうか?
デイモン・ヒル(以下、ヒル):ホンダがあらゆる努力をしてくれると信じていたし、実際にしてくれた。そして、クルマの出来もかなり良さそうで、見通しは悪くなかった。私としては、99年が現役最後の年になると考えていたから、ぜひともいいシーズンにしたかったんだ。もちろん、誰だって“ひどいシーズンになるといい”なんて思いながら開幕を迎えたりはしないけどね(笑)。

 クルマの競争力はまずまずだったが、どうしたわけか、私の意欲が衰えてしまったのか、あるいはもう以前のような速さを発揮できないように感じた。あのグルーブドタイヤ(溝つきタイヤ)が、どうしても好きになれなかったこともある。ともあれ、いいシーズンになりそうだと思っていたのに、私自身がスピードを失ったように思えた。そうして自分を疑い始めると、悪循環に陥ることになるんだ。

──エディ・ジョーダンのチームでドライブすることについては、どう考えていたのでしょうか。彼のことは昔からよく知っていたと思いますが。
ヒル:一緒に仕事をしたいタイプの人物ではなかったね。世間の付き合いのなかで、人間としての彼は好きだよ。だが、ビジネスとなると、いつもひどく厄介なことになる。

デイモン・ヒル(ジョーダン・グランプリ)
デイモン・ヒル(ジョーダン・グランプリ)

──ジョーダンで過ごした時期をエンジョイできましたか?
ヒル:いや、あまり楽しくはなかった。エディも今では、本当は私を雇いたくなかったと公言しているほどだ。ジョーダン時代には、しっかりサポートされていると感じたことは一度もなかった。彼らとしては、若手のドライバーを求めていたのかもしれないし、それは私にも理解できる。一番居心地が良かったのは、やはりウイリアムズだね。テストはすべて任されていて、他のどこよりも、自分がその一員であると実感できたチームだった。

──とはいえ、ジョーダンでは担当エンジニアだったディノ・トソを始めとして、多くの才能ある人々と仕事をする機会もありました。
ヒル:ディノはすごくいいやつだった。その後、フェルナンド・アロンソがルノーで活躍したときにも、彼が大きく貢献していた。当時、ジョーダンにはサム・マイケルもいたし、マイク・ガスコインもとても優秀だと思った。優れたスタッフが何人もいて、いいチームスピリットがあったのは確かだね。ただ、私の場合は、キャリアの終わりが近づきつつあった。概して、ドライバーは最初に所属したチームとは密接な関係を築くが、そうした関係はだんだん希薄になっていくものだ。

■メンタリティの違い


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