レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る

F1 ニュース

投稿日: 2020.04.24 16:56
更新日: 2020.04.27 10:50

『エイドリアン・ニューウェイ HOW TO BUILD A CAR』連動企画02/レイトンハウス、会心の一撃

レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る


F1 | 『エイドリアン・ニューウェイ HOW TO BUILD A CAR』連動企画02/レイトンハウス、会心の一撃

 数多くのチャンピオンマシンを生み出したレーシングカーデザイナー、エイドリアン・ニューウェイの著書が4月28日(火)に発売となる。日本語版の発売を記念した連動企画として本書『ON THE GRID』CHAPTER 25より、1988年に常勝マクラーレン・ホンダを追い抜いた唯一のNAエンジン車として特別な1台となったレイトンハウス・マーチ881の戦いについて、一部を抜粋して、紹介する。
***********

 1988年シーズンの初戦はブラジルだった。現地で3日間のテストをした後、レースまでは一週間の空きがあり、ありあまる時間を使って私たちは『フレームアウト』という新しい遊びに熱中した。ブラジルでは、自動車に『アルクール』と呼ばれる燃料が使われていた。これは甜菜(砂糖大根ともいう)を蒸留して作った燃料で、アルコール飲料の原料にもなり、本来かなりの甘みがある。そのため、人々が給油所のポンプから直に飲もうとしないように、燃料として売られるものには不快な味のする化学薬品が混ぜられていた。

 ブラジルに着いてまもなく、レンタカーのフォルクスワーゲン・ビートルのアクセルを全開にしたまま、いったんイグニッションをオフにしてアルコールがエキゾーストに溜まるのを待ち、再びイグニッションをオンにすると一気に燃え、排気管から火炎放射器のように火を吐くことを学んだ。

 これをリオからサーキットへ向かう途中にある長い下り坂でやると、暗いトンネル内が明々と照らし出された。これは、なかなかの見ものだった。誰が一番長い炎を出せるかを競って、この道を何度となく往復し、錆びて朽ちかけたサイレンサーを路上に落としたことも一度や二度ではなかった。

 それはさておき、ブラジルの暑さは、私たちのクルマを悲惨な状態に陥れた。冷却システムの能力が足りず、高い気温に対処できなかったのだ。結果として、予選は真ん中あたりの順位で通過したものの、レースはリタイアに終わった。チームの経験不足は明らかだった。

 ただ、そんな落胆ばかりの週末にも、ひとつだけ嬉しいことがあった。ウイリアムズのエンジニア、ジェームズ・ロビンソンが私を訪ねてきて自己紹介し、話したいことがあると切り出した。彼は私たちがギヤボックスの問題を抱えているのを知り、デイヴィッド・ブラウン・ギアーズという会社に連絡してみてはどうかと教えてくれたのだ。

 提案は純粋な親切心によるもので、私たちは良い友人になった。しかも、彼が住んでいるのは、私の家がある地区の隣村であることもわかった。そして、彼のアドバイスは実に適切だった。イギリスに戻ってデイヴィッド・ブラウンに相談すると、彼らはすぐに私たちのギヤボックスの問題を解決してくれた。

 メキシコのレースを迎える頃には、デイヴィッド・ブラウンのハイポイド・ギアのおかげで、ギヤボックスのトラブルは解消されていた。これにより私たちは、パフォーマンスを引き出す作業に集中できるようになった。ドライバーたちはコーナーでの旋回中にアンダーステアを訴えていたので、まずフロントのダウンフォースを強化するために従来よりも大きいフロントウイングをデザインし、同時にフロントサスペンションを改造して、ジオメトリーによるライジングレート効果を高めた。

 そうすると、より軟らかめのスプリングを使っても高速域では実質的なばねレートが高くなり、その分だけフロントの車高を低く設定できるので、車全体の空力を改善することができたのだ。ゆっくりとではあるが確実に、私たちは信頼性の問題を解消していき、クルマのセットアップについて学んでいった。

 次のレースはカナダだった。予選では特別なことは何もなく、私たちの前には自然吸気エンジンのクルマも何台かいた。しかし、レースでは好パフォーマンスを発揮できて、マウリシオ(グージェルミン)はリタイアに終わったものの、イヴァン(カペリ)は5位でフィニッシュした。

 この成績には大いに満足したと思われるかもしれない。実際、空港へ向かう車中でもチーム代表のイアン・フィリップスとチーフデザイナーのティム・ホロウェイは、ようやくチーム初の選手権ポイント2点を獲得したことを喜んでいた。だが、私はそれほど上機嫌ではなかった。私たちが本来いるはずの位置を基準とすれば、まだ十分な競争力があるとは言えなかったからだ。あのクルマはもっと高いパフォーマンスを示せる、と私は思っていた。

■セナをオーバーテイクした瞬間の高揚感を今も覚えている


関連のニュース