2020年はF1世界選手権にとって70周年にあたる。その歴史のなかで、33人のワールドチャンピオン、108人のグランプリウイナーが誕生、数々の偉大なるドライバーたちが興奮と感動をもたらしてきた。この企画では、英国ジャーナリストのChris Medlandが何人かの名ドライバーを紹介、彼らが強い印象を刻んだ瞬間を振り返る。
連載第1回に紹介するのはアイルトン・セナ。1988年、1990年、1991年にマクラーレン・ホンダでタイトルを獲得し、日本でも非常に愛されたドライバーだ。41回の優勝を達成、ポールポジションは65回を記録し当時は歴代1位だった。セナは1994年サンマリノGPで大クラッシュ、5月1日に命を落とした。
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偉大なドライバーたちには、キャリアにおいて特別な瞬間が何度かあるものだ。なかでも頂点に立ったドライバーたちは、当たり前のように何度も特別な瞬間を生み出す。
アイルトン・セナは素晴らしいパフォーマンスを幾度となく披露し、多くの偉業を達成、F1史上最も優れたドライバーのひとりとみなされている。しかしそのキャリアのなかで一度だけ、周囲の人々だけでなく彼自身も驚くような出来事が起きた。その瞬間を取り上げたい。
1984年にデビューしたセナは、わずか6戦目にあたるモナコGPで、F1ドライバーとしての地位を確固たるものにした。激しい雨のなか、トールマンに乗るセナは、短縮されたレースで優勝の一歩手前までいったのだ。その時に勝利を手にしたのは、マクラーレンのアラン・プロストだった。
それから4年後、ふたりはマクラーレンのチームメイト同士となった。その年のモナコGPでは、いくつかの意味で世界中のファンを驚かせるような出来事が起きた。
ロータス時代にセナは6勝を達成、彼が才能あるドライバーであることを疑う者はなかった。しかし果たしてトップレベルのドライバーなのだろうか? 当時はそこまでは明らかになっていなかった。
マクラーレンに加入したセナはモナコまでの最初の3戦でポールポジションを獲得。開幕戦ブラジルはトラブルが発生したことからチームの規則違反が起きて失格になったが、第2戦イモラでは優勝を達成。続く第3戦モナコで、セナはその速さをより一層強く世界に印象付けることになる。
当時のマクラーレンは圧倒的な強さを誇り、セナとプロストの一騎打ちによるポールポジション争いが大いに注目された。ところが実際にはハラハラするような勝負が展開されることはなかった。セナが圧倒的な速さを見せつけ、プロストは全く歯が立たなかったからだ。
プロストは1分25秒425をマーク。しかしセナが24秒台を記録するのを見て、プロストは、なぜそんなことが可能なのかと途方に暮れていたという。ところがセナはさらにタイムを削り、1分23秒998をたたき出した。プロストとの差は1.427秒におよんだ。
プロストのマシンのエンジニアを務めていたニール・オートレーは、当時2回のチャンピオンを獲得していたプロストの顔が蒼白だったと、その日のことを振り返っている。