スーパーGTを戦うJAF-GT見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。
今回は2014年に鈴鹿サーキットで行われたF1日本GP。コリンズはレースウイーク直前にケーターハムF1チームの“終わりの始まり”を目撃したようです。
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2014年のF1日本GPは現地入りする前からかなり奇妙なイベントになっていた。私は予定していたよりも1日遅いフライトで日本に向かったが、その理由は思い出せない。とにかくヨーロッパ系メディアの多くが日本へ向かうなか、私はまだ自分のオフィスにいた。
そして、その時私の電話が鳴った。それはケータハムF1チームで働く大学時代からの古い友人からの連絡だった。
彼はイギリスのリーフィールドにあるチームのファクトリーに債権者たちが現れ、すべてのスタッフが帰宅させられたと告げた。「僕たちはすべてのラップトップの電源を切り、すぐにファクトリーから出た。そして、明日の朝、チームが置かれている状況に関するミーティングを実施するから出席するように」と言われたという。
電話を切ったあと、私はこの件について取材を始め、ファクトリーを訪れたという債権者たちと連絡をとった。彼らはチームがリグテスト用に保有していたシャシーのほか、シミュレーター、この日鈴鹿に向けて発送される予定だったマシンパーツを差し押さえたという。また数日中に差し押さえたパーツを競売にかけ、最高入札者に売却する予定だとも明かした。
取材を終えた私はすぐに記事を書き上げると、それから一度家に戻って鈴鹿に向かう準備を始めた。
翌朝、私が成田行きのフライトに搭乗する前、ケータハムのファクトリーで起きたことに関するニュースはまったく出ていなかった。当時、私が乗った成田行きの日本航空便にはWi-Fi環境が用意されていなかったので、上空にいる間、私はF1パドックで起きていることからは完全に遮断されていた。
そして日本に着いた後、ケータハムF1チーム代表のマンフレディ・ラベットが記者会見を行ったことを知った。ラベットは会見で、ファクトリーに訪れた債権者たちは“1本のスクリュードライバー”でさえ差し押さえておらず、実際に彼らが持ち去ったのは、いくつかの古い記念品だと説明していた。
「正直なところ、それほど大したことではない。執行官に対し、その申し立てと我々は何の関係もないことを説明することができた。我々の異議は受け入れられたので、広がった噂とは異なり、電源を切られたコンピュータもなければ、持ち去られた追加のパーツや機器はひとつもない」とラベットはサーキットでメディアに語ったのだ。
私はこれが真実ではないことを知っていた。実際、債権者たちは私に差し押さえた機器を満載したトラックの写真を送ってきていたのだ。その写真に写っていたのはラベット代表が語ったような“記念品”ではなく、チーム活動の中核をなすような機材だった。
また私の友人も電話をかけてきて、ほかの同僚と同じく仕事に戻ることはないまま自宅にいること、自分が失職したのかどうかもわからないことなどを語ってくれていた。