2020年はF1世界選手権にとって70周年にあたる。その歴史のなかで、33人のワールドチャンピオン、108人のグランプリウイナーが誕生、数々の偉大なるドライバーたちが興奮と感動をもたらしてきた。この企画では、英国ジャーナリストのChris Medlandが何人かの名ドライバーを紹介、彼らが強い印象を刻んだ瞬間を振り返る。
今回紹介するのは、F1でタイトル2回、優勝20回、ポールポジション26回を獲得したミカ・ハッキネン。1991年にロータスからF1デビュー。1993年にマクラーレンと契約、1998年と1999年にチャンピオンになった後、2001年末でF1から退いた。
同年代のミハエル・シューマッハーとはジュニアフォーミュラ時代から競い合った仲で、シューマッハーは「一番尊敬するライバルは?」との質問にハッキネンを挙げている。
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ミハエル・シューマッハーほど偉大なドライバーを驚かせ、意識させるのは容易なことではないが、それをやってのけたドライバーが少なくともひとりいる。
シューマッハーが最初の2回のタイトルを獲得する際、最後まで争ったのはデイモン・ヒルだった。1994年にアイルトン・セナが死去した後、ヒルはウイリアムズのチームリーダーの役割を担い、シューマッハーに戦いを挑んだのだ。当時シューマッハーにとって最大のライバルはヒルだったのは間違いない。だがそのヒルは、シューマッハーから尊敬されていると感じたことは一度もなかったと主張している。
それが事実かどうかは分からないが、シューマッハーが尊敬の念を抱いたライバルがひとりいることは確かだ。それは、フェラーリでの初タイトルをつかもうとしていたシューマッハーの前に立ちはだかったミカ・ハッキネンだ。
ハッキネンとシューマッハーは、ジュニアカテゴリーで走っていたころはライバル同士だったものの、F1に昇格してしばらくは、ホイール・トゥ・ホイールのバトルをする機会があまりなかった。シューマッハーはベネトンで優勝を重ね、タイトルも獲得したが、ハッキネンはロータスでデビューした後、さほど競争力が高くないマクラーレンで走っていた。
ハッキネンは、1995年アデレイドで生命にかかわるほどの大クラッシュを喫したが、翌1996年にF1に復帰。シーズン後半には何度も表彰台に上り、勢いをつけた後、1997年にF1初優勝を達成した。このころ、フェラーリとシューマッハーが強さを増しつつあったものの、マクラーレンにはエイドリアン・ニューウェイが加入、ハッキネンもタイトルに手が届くポジションに浮上した。
1996年以来、シューマッハーはフェラーリでの初のタイトルを目指して戦ってきたが、目標達成には数年を要した。1999年の骨折もあって、1998年、1999年にはハッキネンに敗北。2000年、再びふたりはタイトルをめぐって争うことになった。