スーパーGTを戦うJAF-GT見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。
今回は2012年にバレンシア市街地コースで開催されたF1ヨーロッパGPの後編。それまで魅力的に感じられなかったF1ヨーロッパGP、そしてバレンシアにわずか1日で魅了されたコリンズが、最後の開催となったF1ヨーロッパGPをふり返ります。
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通常のF1とおなじく金曜日にはフリー走行が行われた。ホテルからコースに向かう道中も、バレンシアの閑散とした印象は大きく変わらなかったのだが、少人数のF1ファンの姿を確認することはできた。
実は2012年F1ヨーロッパGPの金曜日に起きたことは正直あまり記憶にない。覚えているのはやや涼しい気候だったこと、週末は気温が上昇すると予報されていたことくらいだ。
公式リザルトを見てみると、フリー走行1回目はパストール・マルドナド(ウイリアムズ)がトップタイムを記録し、フリー走行2回目はセバスチャン・ベッテル(レッドブル)が最速だったようだ。当時の私は、決勝もこの流れが維持されると思っていたはずだ。
そして金曜日の晩、私は他のイギリス人ジャーナリスト数人とともに、ザウバーのモーターホームで行われたディナーに招かれた。
このディナーにはふたりのドライバーも同席していた。セルジオ・ペレスは少し緊張していて居心地が悪そうに見えた。ペレスは全員を前に自己紹介をしたが、もちろん私たちは全員彼のことを知っていた。ペレスはある程度の時間を過ごしたあと、ディナーの席を後にした。
そのペレスのチームメイトだった小林可夢偉は正反対の印象だった。彼は遅れてディナー会場に到着したが、とても機嫌が良さそうだった。可夢偉はディナーに出席していた全員が食事を終えるくらいまで、その場に留まり関係者との交流を楽しんでいた。
食事を終えると、モニシャ・カルテンボーンがテキーラのボトルを出してきて、全員に酒を注いで回った。私はビールやシードルしか飲まない(日本にいるときはホッピーや日本酒、焼酎も嗜む)ので断ろうとしたのだが、チームのペーター・ザウバー代表も勧めてくるので断りきれなかった。
慣れないテキーラを飲んだせいで金曜日の記憶が曖昧になったと思っているのだが、それでもあの晩にペーター・ザウバーと交わした会話のことは覚えている。
彼は英語があまり得意ではないので、ディナーの最中に言葉を発することはほとんどなかったが、公の場にいるときよりも柔らかい印象だった。
私はある出席者とザウバーの歴史、特にグループCに関する話題について語り合い、そこで当時ザウバーとライバル関係にあったTWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)がデザインしたジャガーのマシンについて言及した。すると突然ペーター・ザウバーが私を見てこう言ってきた。
「トム・ウォーキンショーはペテン師だ!」
彼はそれ以上のことは詳しく話さなかったが、私はザウバーがウォーキンショーをペテン師と表現したのはグループCのマシンのことなのか、それともベネトンで物議を醸していた時期のことなのか頭を悩まさせた。
また、このディナーの最中に可夢偉がペーター・ザウバーと親しく過ごしていたことも覚えている。彼らはまるで古い友人同士のように言葉を交わしていた。