スーパーGTを戦うJAF-GT車両見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。
今回は2014年のF1モナコGPをピックアップ。そこでコリンズが目にしたのは、近年のF1のなかでも指折りの拮抗した重要な意味を持つバトルでした。
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ニースからモナコに向かう電車からの風景は壮観だ。二階の右側の座席に座れば、コート・ダジュールの美しい眺めが続き、モンテカルロに到着するまでに景色はますます素晴らしいものになっていく。
2014年、モンテカルロに到着すると興奮した雰囲気がただよっていた。予選でふたりのメルセデスドライバーであるルイス・ハミルトンとニコ・ロズベルグの対立関係が最高潮に達し、ふたりはフロントロウを分け合っていたからだ。
レースは常にスリリングであるが、私は今回の結果がどれだけ重要になるかということをこのときはまだ予期していなかった。
それまでの数レースにおいて、ふたりはチームオーダーに反して異なるエンジンモードを使用したとして、互いに不満を言い合っており、モンテカルロでその緊張感はすでに高まっていた。
予選最後のアタックでロズベルグが非常に速いタイムを出すと、ハミルトンはそのタイムを上回ろうとしているように見えた。すると奇妙なことが起きた。
ミラボーに近づいたロズベルグは、通常よりも0.5秒遅くブレーキングをし、エスケープロードに入ったのだ。これでイエローフラッグが振られた。
イエローフラッグが出たということは、ハミルトンはタイムを上げる術がなくなり、ポールポジションはロズベルグの手中に収まることになる。
それは誰の目にも、ほぼ2006年に行われたモナコGP予選セッションの繰り返しのように見えた。当時はミハエル・シューマッハーが意図的にラスカスでマシンを止めてイエローフラッグが出るようにし、ライバルのフェルナンド・アロンソに抜かれるのを防いだのだ。
そのときのレーススチュワードは難色を示し、シューマッハーをグリッド最後部に追いやった。今回のスチュワードがロズベルグにどう対処するのかに注目が集まったが、なんと何もしなかったのだ。
ハミルトンは(ニキ・ラウダが彼の側にいた)この状況に激怒したものの、FIAはロズベルグの行為には何も問題はないとした。ハミルトンとラウダは明らかに同意していなかったが、この件が昔ながらのモナコGPの場を作り上げた。
モナコでのレース中、私はプレスルームの隅に立って窓の外を見るのが好きだ。そこからはラスカスの素晴らしい眺めと、コースのスイミングプールのセクションの大部分が見える。
そんな見晴らしの利く場所で、私は近年のF1の歴史のなかでも最も拮抗した重要なバトルのひとつをつぶさに見ることができた。そしてそのバトルは痛烈な結末を迎えたのだが、それは当時認識されていたよりもはるかに重要な意味を持つ結末だった。
レース開始前、いつものようにマシンたちがグリッドに並んでいくが、パストール・マルドナドのロータスだけはクラッチトラブルのためグリッド上にいなかった。
そのことに気がつかなかったザウバーのエステバン・グティエレスと、2台マルシャ(マックス・チルトン/ジュール・ビアンキ)はフォーメーションラップの最後に間違ったポジションに並んでしまう。
ビアンキはギヤボックスのペナルティのためにグリッド後方へ下がり、チームメイトのチルトンとケータハムの小林可夢偉の後ろからレースをスタートすることになっていた。もう一台のケータハムに乗るマーカス・エリクソンは、ペナルティを科されてピットスタートだ。