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F1 ニュース

投稿日: 2020.10.05 14:56
更新日: 2020.10.05 15:44

ジョディ・シェクターが語るジル・ビルヌーブと過ごした日々「ジルのキャリアにはまだまだ先があった」

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F1 | ジョディ・シェクターが語るジル・ビルヌーブと過ごした日々「ジルのキャリアにはまだまだ先があった」

 現在発売中の雑誌『レーシングオンNo.509』ではF1世界選手権の発足70周年を記念して、歴代チャンピオンやレジェンド級の人気を博したドライバー10名を“F1十勇士”と命名し抽出、キャリアヒストリーやエピソードの数々を収録している。

 ここではそのひとりとして本誌が選出したカナダ出身のフェラーリドライバー、ジル・ビルヌーブを取り上げる。1982年ベルギーGPの予選中に事故死した彼を、1979~1980年にチームメイトとしてともに過ごしたジョディ・シェクターが当時を回想しているインタビューを抜粋してお届けする。
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(以下抜粋)
──1979年にジル・ビルヌーブのチームメイトになりましたが、それ以前から親しかったのですか?
ジョディ・シェクター(以下、シェクター):そうでもないけど、フェラーリに入ってすぐに気心知れるようになって、モナコでしょっちゅうツルんでいた。ダンスが好きで、女の子が好きで、すごく愉快なヤツだった。それでいてアタマもいいときている。だから、あっという間に親友と呼べる仲になった。一緒にいて楽しいだけじゃなく、互いに尊敬し合える間柄じゃないとそうはならないよね。根っからの善人というのは彼のような人間を言うのであって、およそ悪意というものが感じられなかった。

──仕事上の協力関係はどんな具合でしたか?
シェクター:ジルとはとてもうまくいっていた。正直で開けっぴろげな関係をずっと維持していたし、それが成功の秘訣だね。ウソやごまかしの類はどちらも一切なしで付き合えたからね。もし彼がウイングを立てるとかの調整を施して、それでタイムが上がれば、必ず私にも教えてくれた。むろん私もおなじようにする。おかげでジルにやられたことが何度かあったけども、それはお互い様。それくらい関係は良かったってことさ。だからこそタイトルが獲れたわけだし、チームメイト同士は常にそうでなきゃいけない。

──1979年の戦いぶりをどう総括していますか?
シェクター:プロと呼ぶに相応しい仕事をしたと思う。どちらも持てる力をすべてを出しつくして戦った。どちらが勝ったかは単なる結果に過ぎない。彼の方が速いということが何度もあったし、逆に私が速いこともあった。一切手抜きせずに戦い、最後に得点が多かった方がチャンピオンになった。それがたまたま私だったわけだね。

 翌年のクルマが散々な出来だったことが残念でならない。ジルは、そんなクルマでもすごい走りを披露していたからね。私の方はからきしでさ。同い年だけど、キャリアは私の方がかなり長いんだ。なのにジルは難なく乗りこなし、何度か上位争いにも加わった。こっちは10位以内に入るのさえ難しいんだから、そりゃメゲたよ。

 1980年の終わりに、ジルの発案で私へのメダル授与式というのが行われたんだ。あるグランプリのドライバーズミーティングで、彼がスピーチに立った。挨拶のあと、うやうやしく箱を手渡されたが、実はその中は空っぽだった。メダルはこれからオーダーするのだとね。結局そのままもらえずじまいになってしまったけれど、気持ちは十分に伝わったから嬉しかったよ。

シェクターが王座を決めた1979年イタリアGP。背後で後続をガードするのがビルヌーブ
シェクターが王座を決めた1979年イタリアGP。背後で後続をガードするのがビルヌーブ

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