2020年のFIA-F2終了後にFIAルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた角田裕毅が、アルファタウリ・ホンダから2021年シーズンのF1に参戦する。海外でもその走りで注目を集めている角田だが、ヨーロッパのファンたちは彼のどんな面に共感をもったのだろうか。スペイン在住のフリーライター、アレックス・ガルシアが2018年のFIA-F4時代から角田の走りを振り返る。
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2014年にケータハムに在籍した小林可夢偉以来となる、日本人F1ドライバーが誕生した。2021年に角田裕毅がアルファタウリ・ホンダからF1に参戦する。角田はピエール・ガスリーのチームメイトとなるが、ガスリーも2017年にスーパーフォーミュラに参戦していたので、日本とのつながりを持っているドライバーだ。
日本のモータースポーツファンにとって非常にエキサイティングな状況であることは間違いない。実際のところ、ヨーロッパの誰もがこのドライバーに何ができるのか見ることを楽しみにしているのだ。このことは、これまでの彼の成功を評価するための良い方法だと感じている。
角田はキャリアを通じてホンダのサポートを受けているが、彼がF1に昇格できた理由は、彼自身の才能とスピードだ。彼の進歩は完璧だ。日本のFIA-F4チャンピオンからF1ドライバーに至るまでにかかったのはたったの2年であり、2019年からはレッドブル・ジュニア・チームの一員となった。
2018年にF4を見ていた者にとっては、彼の能力は明らかだった。多くの人々が彼の勝利と優位性について話すだろう。しかし私にとって最も特別な瞬間は、2018年FIA-F4選手権第6大会オートポリスでのことだった。角田はグリッドのはるか後方からのスタートを余儀なくされた後、2回の素晴らしいリカバリーレースで完走した。見返りはたったの4ポイントだったが、この時私の目には、このドライバーが特別に見えた。
何年もの間、私はスペインとヨーロッパの他の記者たちに、日本人ドライバーをF1に送り込むために重要なのは、若いうちにヨーロッパに連れてくることだと話してきた。実際、これは秘密の話だが、2018年の終わりに私は個人的に角田をスペインのチームに推薦していた。私はホンダにも連絡を取って、二者間でなし得る契約の交渉を手伝おうとしたのだ。結局それは実現しなかった……。しかし角田はヨーロッパへ行き、レッドブルの支援を受けた。私はその決断に驚きはしなかった。私はそれが現実となったことがとても嬉しかった。
ここからが、ヨーロッパのメディアとファンにとって面白くなり始めるところだ。「この角田とは誰だ?」と多くの人々が尋ねた。2019年のユーロフォーミュラ・オープンでの初レース(彼にとってヨーロッパでの初レースでもあった)で、角田は2位だった。そして1カ月後のホッケンハイムで彼は優勝したのだ。FIA-F3と日程が重なったために、2ラウンドを逃したにもかかわらずシーズンの終わりには、ユーロフォーミュラ・オープンでランキング4位になっていた。
FIA-F3でも人々は実際にこの小柄な日本人ドライバーに感銘を受けた。彼のF3結果は最初のうちはそれほど印象的ではなかったかもしれない。1戦目が10位、3戦目が7位、その後は8戦目までポイントを獲得できなかった。実際、彼はモンツァで苦労して掴んだ勝利によって“たった”3度しか表彰台に上がれなかった。2019年シーズン終了後、彼はF3ランキングは9位だった。