2021年に7年ぶりに日本人F1ドライバーが登場した。アルファタウリ・ホンダからF1にデビューした角田裕毅だ。極めて高い評価を受け、大きな期待を担う角田を、海外の関係者はどう見ているのか。今は引退の身だが、モータースポーツ界で長年を過ごし、チームオーナーやコメンテーターを務めた経験もあるというエディ・エディントン(仮名)が、豊富な経験をもとに、忌憚のない意見をぶつける。
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モナコといえば、パーティー、豪華なヨット、美しいモデルたちを思い出す。あの華やかな場所が懐かしい。スポンサーの船に乗って、最高級のシャンパンを飲み、極上の料理を味わい、有名俳優や歌手、スポーツ選手たちと一緒に時間を過ごした。「俺はこの世界の人間なんだ!」と感激したっけ。ああ、あの栄光の日々よ……。
予選はスリル満点だが、日曜にシラフでサーキットに来て、ピットウォールに2時間座っているのは辛かった。追い抜きのないレースに興奮しているふりをしなければならなかったしね。物事にはいい面もあれば悪い面もあるってことだ。ニコール・キッドマンが登場した時の話はもうしたかな? え? 角田の話をしろ? せっかく面白い昔話がたくさんあるのに……。
裕毅はモナコでポイント獲得には至らなかったが、いくつか貴重な教訓を学んだ。
教訓その1。「最低限、予選の最後のラップを走り終わるまでは、ウォールにぶつからないこと」。プラクティスでマシンを壊すようなことがあれば、走行時間を失って、そこから悪循環が始まる。
教訓その2。「ヘルムート・マルコから言われたとおりにすること」。そうしないと、際限なく小言を聞かされる羽目になる。裕毅がFP2でマシンを壊した後の様子が目に浮かぶようだ。木曜から土曜朝のプラクティスが始まるまでずっと、マルコから逃れられなかったはずだ。FP3でマシンに乗り込んでコースに出た時には、ほっとしたんじゃないかな。
今までモナコで1周もしたことがなかったことを考えれば、FP1に9番手に入ったというのは、ソフトタイヤではあっても、すごいことだった。やはり裕毅には才能がある。ピエール・ガスリーから0.8秒遅かったけれど、ガスリーは何度もモナコを走ったことがあるのだから、それは仕方がない。
しかしFP2で角田はガードレールにヒットし、その後の週末を台無しにしてしまった。FP3の時点でまだ自信を持ってプッシュすることができず、クリーンラップも取れず、結果は19番手。彼のなかでプレッシャーがますます高まっていったことだろう。