ホンダF1ラストイヤーとなる2021年、あらためて2015年からのホンダのF1活動を総括するシリーズ分冊「HONDA Racing Addict」の第1集が発売された。パワーユニットごとに4つのピリオドで編集される最初の巻は『Honda RA615H』を特集。2008年にF1を撤退したホンダがまた復帰するまでと、その初年度である2015年までをフィーチャーした。
今回は、本誌のなかで元マクラーレン代表のマーティン・ウィットマーシュに行った、ホンダとの契約締結とチーム内紛にまつわる独占インタビューをピックアップしてお届けする。
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──ホンダとの契約をまとめた時の思い出について教えてください。
「契約書に署名して、その場を後にした時かな。実は、この話をマクラーレンの取締役会にかけた時に、ロン(・デニス/元マクラーレン・グループCEO)はホンダとの提携に反対票を投じていたが、マンスール(・オジェ/元マクラーレン共同オーナー)は私を支持してくれた。つまり、この話は決まったも同然だったんだ。でも、ロンはこれを“ウイットマーシュの契約”と一蹴し、くだらないものだと考えていた」
「ホンダは無償でパワーユニットを提供し、シャシー開発にも毎年数千万ドルを提供することになっていた。しかもドライバーフィーのほとんどを肩代わりし、あらゆるPR活動費も負担していたんだ」
「チームにとっては年間で1億ドル(約109億円)以上の価値があり、我々はその資金を必要としていた。勝つために、ワークスのサポートが不可欠だったからね」
──ホンダとの契約は、どのようにスタートしたのですか。また、前回の契約時と同じスタッフもいたのでしょうか。
「私は文字どおり“あちこち”をまわり、ヒュンダイにもトヨタにも行った。そして、ホンダに行き着いたんだ。たしかに、ホンダのスタッフの何名かは前回と同じ顔ぶれだったよ。我々はワークス契約を求めていたから、積極的に売り込んだ」
「しかし、この話をまとめるのには長い時間がかかった。私ともうひとり、より積極的に動いていたのがジョン・クーバー(マクラーレン・コマーシャル&ファイナンシャルディレクター)で、彼は“ミスター頑固”と呼ばれるような人物だった。折衝に当たったのはジョンと私のふたりだけで、当時は2週間に一度のペースで日本を行き来していた」
「私が会議などでホンダに行けないこともあったので、ジョンがすべての交渉をこなさなければならなかったんだ。ホンダとの契約がまとまってから取締役会にかけ、そこでロンが反対票を投じたのは、先ほど話したとおりさ。ホンダとは7年の契約だったよ」
──デニスは何をしたかったのでしょう?
「私の契約じゃなければ、なんでも良かったのだろう。彼がどうしたかったのかは、知る由もない。代替案を出すわけでもなく、ただ承認することに反対していたんだ」