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F1 ニュース

投稿日: 2021.09.10 17:18

苦楽をともにした“ホンダマン”。ジェンソン・バトンとホンダのF1キャリア回顧録

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F1 | 苦楽をともにした“ホンダマン”。ジェンソン・バトンとホンダのF1キャリア回顧録

 F1キャリアの半数近くをホンダとともに過ごしたジェンソン・バトン。最後の道のりは平坦なものではなく、苦難の連続だったが、「ホンダは強くなるためにすべてを懸けている」と忍耐強く、成功を信じて挑み続けた2シーズンだった。

 ホンダF1ラストイヤーとなる2021年。あらためて2015年からのホンダのF1活動を総括するF1速報別冊『HONDA Racing Addict』の第2集『Honda RA616H & 617H』が9月9日(木)に発売された。2016年と2017年を追った本書では、3年間苦闘に喘いだマクラーレンとの離別とトロロッソとの再出発が語られる。今回はそのなかから、ホンダマン、ジェンソン・バトンが残した語録によるキャリア回顧を紹介したい。

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 波乱の2021年第11戦ハンガリーGPでは、アルピーヌのエステバン・オコンが初優勝を果たすという劇的な顛末がF1ファンを楽しませた。アルピーヌも初勝利で、それはやはり荒れた展開を見せた2006年ハンガリーGPでのジェンソン・バトンの初優勝を彷彿とさせ、1965年メキシコGPでのリッチー・ギンサー、1967年イタリアGPでのジョン・サーティースに続く、ホンダの3度目かつ最後のワークスマシンでの偉業を思い起こさせた。

 バトンのホンダとのF1キャリアは、大きく3つに分けることができる。始まりは2003~2005年のBAR・ホンダ時代。その後、チームは車体も含めたホンダのワークス体制となり、バトンはその一員として2006~2008年を過ごしている。2008年当時、マシンは同年春の時点で成功の兆しが見えなかったため開発を中断、エンジニア陣は早々に2009年のホンダF1のマシンとなるものに全精力を傾けていた。

 ところが2008年末、世界的な金融危機のなか、ホンダはF1からの撤退を決断してしまう。その後を託されたのが、チームのボスであるロス・ブラウンだった。こうしてあのおとぎ話が生まれ、ブラウンGPとバトンは、2009年のワールドチャンピオンに輝いたのだ!

やり残した仕事の続き

 2010年にブラウンGPがメルセデス・ベンツのワークスチームとして再編成されると、バトンはマクラーレンに移籍。迎えた2015年、バトンにとっての“ホンダ第3期”が待ち受けていた。アイルトン・セナとアラン・プロストの活躍により、1980年代末から1990年代頭にかけてその名を轟かせたマクラーレン・ホンダ。バトンも当時の快進撃を興奮して見ていたひとりであり、新たな栄光の時代を築くべく胸を高鳴らせていた。

「F1は圧倒的な強さを誇るメルセデスに対するチャレンジャーを必要としていて、マクラーレン・ホンダはそのチャレンジャーになりうる。いずれこのチームが再び偉大な存在になれると本当に信じているんだ。今はまだほど遠いことには同意するが、簡単にいくわけがないことは最初から分かっている」

「ホンダは2007年から2008年かけて望むような結果を得られず、ある意味やり残した仕事がたくさんある。僕はホンダのレーシングスピリットがずっと好きだったんだ」

 シーズン前に語っていた「まだほど遠い」というのは、バトンとしては社交辞令程度の楽観を含んだものだったが、蓋を開けてみればマクラーレン・ホンダは開幕戦メルボルンで最も遅いマシンだった。予選Q1でメルセデスは異なるタイヤを装着し、パワーユニットもフルパワーモードにしていなかったにもかかわらず、両者の差は1周あたり4秒近くもあった。最悪の事態に、マクラーレンのチーム代表、エリック・ブーリエは、「追いつくには2年以上かかるかもしれない」と認めた。

 F1関係者は愕然とした。遅れての参戦とはいえ、ホンダなら競争力のあるものを作ってくるだろうと警戒していたからだ。開発の現場では“サイズゼロ”コンセプトの空力を重視した懸命の作業が続けられていた。バトンは言う。

「2014年にメルセデスのパワーユニットを搭載していた時は、ダウンフォースが大きいマシンだったが、ブレーキを踏むとターンインで非常にノーズ寄りになり、コントロールに細心の注意を要した。2015年に空力的に違うマシンになったら、はるかに正確にドライブできるようになった」

 ただ、正確さはあるものの、速くはない。バトンとフェルナンド・アロンソという偉大な才能と経験をもってしても、マクラーレン・ホンダは失意に沈んだ。マクラーレンのランキングは2015年は9位、言い換えれば最下位から2番目であり、2016年は浮上したといっても6位、とても満足できるものではなかった。

 2016年冒頭、バトンは明るい調子で「この14カ月でパワーユニットは大きく前進した」とコメントしていたが、この上昇気流は長くは続かなかった。ホンダはなんとかパワーユニットを改良してはいたものの、依然として信頼性に乏しく、バトンは2015年から2016年にかけて合計11戦ものリタイアを強いられた。

 ただ、思うような結果が得られなかったとはいえ、バトンらしい老練な走りは健在だった。マクラーレン・ホンダでのベストパフォーマンスと言えば、間違いなく2016年オーストリアGPでの予選5位が挙げられるだろう。ウエットやダンプ路面での巧みなドライビングにより数々の好レースを重ねてきたバトンにとって、ミックスコンディションは相性が良かったのである。

「予選Q2ではコースオフしたから、もうダメだと思った。でもわずか1000分の6秒のマージンでQ3に進出することができた。Q3のコンディションは僕にとってマシンの性能を引き出すには理想的な状態で、自分のスタイルにすごく合っていたし、コーナーごとに進入時のグリップが感じられた。最大の問題は路面の乾きが速く、蒸気で視界が悪かったことだ。ドライタイヤを履いていたし、路面のどこが乾いていてどこが濡れているのか判断がつかなった。最終ラップのためにすべてを温存し、たくさんのリスクも冒したけれど、メガ級の成功で、本当に楽しいセッションだったよ」

 さらにレースでは上位陣のグリッド降格ペナルティにより、3番グリッドからのスタートとなり、6位入賞という大健闘を見せ、「走るたびにマシンはどんどん良くなっていった」と満足げに語っていた。しかし、以降のレースでバトンがこれ以上の成績を挙げることはなかった。結局、マクラーレン・ホンダ時代の最高位は2015年アメリカGPと2016年オーストリアGPでの6位2回に終わった。

白眉の2016年オーストリアGP。2番グリッドのニコ・ヒュルケンベルグがスタートで手こずるのを尻目に、バトンはルイス・ハミルトンに続いて2番手でターン1を通過。キミ・ライコネンを抑え7周目途中までそのポジションをキープした。
白眉の2016年オーストリアGP。2番グリッドのニコ・ヒュルケンベルグがスタートで手こずるのを尻目に、バトンはルイス・ハミルトンに続いて2番手でターン1を通過。キミ・ライコネンを抑え7周目途中までそのポジションをキープした。

変わらぬ尊敬の念

 バトンは2016年限りでF1から離れることを決断。契約上はアンバサダーとしてチームに残留して、将来の復帰にも含みを残したが、フェルナンド・アロンソがインディ500に参戦するために代役として出走した2017年のモナコGPを例外に、バトンが再びF1のシートに戻ることはなかった。

 バトンについて好感が持てるのは、アロンソとは異なり、公の場でチームを批判しなかった点だろう。マクラーレンとホンダに対する忠誠心は誰にも負けなかったが、山積した問題を無視することはなく、言うべきことは当事者間だけで話し合い、問題をうやむやにはしていなかった。

 マクラーレンとホンダの夫婦関係の難しさを目の当たりにしつつも、バトンはホンダとの健全な関係を維持。2018年には日本に活躍の場を移してホンダからスーパーGTに参戦し、2005年の高木虎之介以来となるルーキーシーズンでのチャンピオン獲得を果たしている。

「2017年はほとんどレースができない休養状態だったから、モーターレーシングへの情熱が再燃したんだ」とバトン。

「結果的には、2016年の末で終わりにして、ひと呼吸おいたことは良かったと思う。2017年のモナコでフェルナンドの代わりに1戦だけ出場するのは当然のことだったとしても、フルタイムでF1に復帰したいという気持ちはなかった。F1でやりたかったことはほとんどやり尽くしていたんだ。それに、マクラーレン・ホンダでの最後の2シーズンは厳しかった。マクラーレンで何年も活躍して、何度も優勝していたのに、突然何もできないような状況に陥ってしまったら、誰でもつらいだろう。僕は長くいすぎたのかもしれない。もう一度レースを愛するために、しばらく離れている時間が必要だったんだ」

 バトンがホンダで“やり残したこと”を遂げることはなかったが、2019年にレッドブル・レーシング、マックス・フェルスタッペンとともにホンダが優勝戦線に戻ってきた時、彼はこう語った。

「田辺豊治と彼の仕事を尊敬するよ。ホンダにいた時のレースエンジニアなんだ。彼らが再びトップに立つ姿を見られてうれしいよ」

2016年最終戦アブダビGP、チームは花道を作ってバトンを送り出した。「サングラスをかけていてよかった」と、バトンも感傷的に。有終の美を飾ることはできなかったが、完全燃焼した17年間だった。
2016年最終戦アブダビGP、チームは花道を作ってバトンを送り出した。「サングラスをかけていてよかった」と、バトンも感傷的に。有終の美を飾ることはできなかったが、完全燃焼した17年間だった。
2016年イタリアGPで翌年からアロンソとストフェル・バンドーンを起用すると発表したマクラーレン。同時にバトンと2年のアンバサダー契約を締結したことを明らかにした。現役復帰の可能性を残してはいたが、バトンの気持ちはすでに引退で固まっていた。
2016年イタリアGPで翌年からアロンソとストフェル・バンドーンを起用すると発表したマクラーレン。同時にバトンと2年のアンバサダー契約を締結したことを明らかにした。現役復帰の可能性を残してはいたが、バトンの気持ちはすでに引退で固まっていた。
2017年にスーパーGT にスポット参戦すると、2018年にはTEAM KUNIMITSUから山本尚貴と組みホンダNSX-GTでフル参戦して戴冠。2019年も同じ体制で臨むが、ランキング8位に終わった。
2017年にスーパーGT にスポット参戦すると、2018年にはTEAM KUNIMITSUから山本尚貴と組みホンダNSX-GTでフル参戦して戴冠。2019年も同じ体制で臨むが、ランキング8位に終わった。

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 F1速報別冊『Honda RA615H HONDA Racing Addict Vol.2 2016-2017「Honda RA616H & 617H」』は、全国の書店やインターネット通販サイトで発売中。内容の詳細と購入は三栄オンラインサイト(https://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=12003)まで。

■Honda RA615H HONDA Racing Addict Vol.2
2016-2017『Honda RA616H & 617H』

発売日:2021年9月9日(木)
定価:1300円 (本体価格1182円)

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Honda RA615H HONDA Racing Addict Vol.2 2016-2017『Honda RA616H & 617H』
Honda RA615H HONDA Racing Addict Vol.2 2016-2017『Honda RA616H & 617H』は9月9日より販売中だ。


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