レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る

F1 ニュース

投稿日: 2021.09.21 18:02
更新日: 2021.09.21 18:03

天性の速さと裏表のなさに誰もが夢中。F1ファンの心のなかに“最高のキミ・ライコネン”がいる

レースを愛してやまないファンの方々へ
autosport web Premiumが登場。

詳細を見る


F1 | 天性の速さと裏表のなさに誰もが夢中。F1ファンの心のなかに“最高のキミ・ライコネン”がいる

 長いキャリアの末にいつかその時が来ると分かっていても、寂しさは否めない。一杯のコーヒーを淹れて、彼が描いた色とりどりのシーンを思い出してみると──途切れることなくよみがえる記憶に、我ながら驚くファンはきっと数多い。

 2006年モナコGP。リタイアした後、クルーザーで飲酒するキミ・ライコネンの様子がレース中の国際映像に映し出されたレースだ。インターネット上にアップされた“続編”、デッキの2階から転落する豪快な酔いっぷりも話題になった。褒められたことではないけれど、裏表がなく、人目を気にして取り繕うようなことをいっさいしないキミの一面が表れたエピソードを、ファンはむしろ微笑ましい気持ちで受け止めた。それは、彼のなかに厳然と存在するもうひとつの一面、ドライバーとして一点の曇りもない清廉さを、誰もが感じ取っていたからだと思う。

 あのモナコGPを、ライコネンは勝利のチャンスを握りしめながら走っていた。スタート直後に3番手から2番手にポジションを上げた彼は、終始、首位フェルナンド・アロンソから1秒以内の位置を走行。1回目のピットストップはライコネンが22周終了時点、アロンソが24周終了時点。ふたりのポジションが入れ替わることはなかったが、ピットでの静止時間=給油時間はライコネンが10.3秒だったのに対して、アロンソは7.9秒。

 レース後、ロン・デニスは「1回目のピットストップを終えた時点で、キミがフェルナンドより7周分多くガソリンを積んでいることは明らかだった。キミはタイヤとエンジンを労わりながら走行していた」と語った。2回目のピットでアロンソをオーバーカットする、というのがマクラーレンの作戦だったのだ。

 しかし49周目、マーク・ウェーバーのウイリアムズがボー・リバージュに入ったところでストップ。セーフティカーが出動し、ふたりが同時にピットインしたため、マクラーレンの持っていた作戦上のアドバンテージは消えてしまった。そして追い打ちをかけるように、セーフティカー先導のスロー走行のおかげでライコネンのマシンに火災が発生した。

2006年モナコGPでマシン火災に見舞われるキミ・ライコネン(マクラーレン・メルセデス)
2006年モナコGPでマシン火災に見舞われるキミ・ライコネン(マクラーレン・メルセデス)

 2006年の、数少ない(実際には一度も実現することのなかった)勝利のチャンスを奪われて、どんなに落胆したことだろう──? それなのに、感情に流されることなく“競技を妨げないこと”を最優先したキミの行動は感動的ですらあった。

 ミラボーの先で異変に気づいた彼は、ほかのマシンに道を譲りながら、下り坂を利用して火のついたマシンの停止場所を探していた。ヘアピンの先の右コーナーでは歩道に乗り上げていったん停止。そこでオフィシャルによる消火作業を受けながらもステアリングを離さず、再びマシンを転がしてポルティエ手前の退避スペースまで運んだ。このスマートな対応のおかげでセーフティカーは直後にピットに戻り、レースは無事に再開した。

 当時のF1はピットストップ時やスロー走行時のオーバーヒートに弱く、とりわけモナコのセーフティカーはチームにとってもオーガナイザーにとっても悩みの種だった。ライコネンは自ら犠牲になりながらも“モナコの低速走行”によるリスクからレースを守ったのだ。本人に聞けば、きっと「当たり前でしょ」のひと言で片づけられたと思う。でも、それが心情的にどれほど難しいことかは、ウェーバーの例が示していた。

 彼のウイリアムズがラスカスを通過する時点で異音を発していたことは、プレスルームにいた私たちにも明らかだった。ピットインには間に合わなくとも、最大の退避スペースがあるサン・デボーテで停まるものだとばかり思っていた。しかしウェーバーは、力尽きたマシンをボー・リバージュの上り坂まで運んだところで停止した。マシンを降り、悔しさを体現する彼の気持ちも理解できる。シーズンベストの3番手を走っていたのだから……。

 対照的に、勝利のチャンスもレースも失いながら、他者の競技を最優先したキミは、レースの神だった。

 2009年のマレーシアGPでは、レース中断中にアイスクリームを食べている様子が放映されて話題になった。3年後にはロータスが引き継ぎ、プレスへのアイス配布、翌年のUSBメモリへと発展したエピソードの起点だったが、KERS元年の2009年、帯電の危険があるマシンのどこにも触れず、コクピットからジャンプ脱出した最初のドライバーであったことを忘れてはならない。しかも、大雨のなか──最悪の事態も恐怖も言葉にすることなくアイスと一緒に飲み込んだのは、キミだからこそ。

 ドライバー、キミ・ライコネンの魅力はもちろん、天性の速さにある。どんなコースも不得手としないが、自然の起伏を活かしたスパ・フランコルシャンや鈴鹿サーキットでは、山野を駆け巡る動物のような、敏捷でしなやかな走行が際立った。複数のラインが可能なスパ、プーオンの出口からファーニュ、スタヴロにかけては、キミだけが違うコースを相手にしているように映った。上海のターン11~13も然り。稀有なドライビングの才能とともに、レースでは一貫してフェアであることもライコネンが生まれつき備えた資質だった。

2009年ベルギーGP キミ・ライコネン(フェラーリ)
2009年ベルギーGP キミ・ライコネン(フェラーリ)

■次のページへ:この21年間、誰もがキミ・ライコネンに夢中だった


関連のニュース