鈴鹿サーキットでのF1日本GPを制した英雄16人、その4人目と5人目に紹介するのは鈴鹿F1の勝利数で歴代1位と2位の座にある“7冠チャンピオン”両名だ。鈴鹿F1通算勝利数1位はミハエル・シューマッハー、2位はルイス・ハミルトン(ハミルトンは本企画初回登場のセバスチャン・ベッテルと並び2位タイ)。
F1最多タイの7冠を誇り、F1通算勝利数でもトップ2を占めるスーパー王者2人は、鈴鹿でも当たり前のように勝ち星を量産したーー。
(※本企画における記録等はすべて、それぞれの記事の掲載開始日時点のものとなる)
■1995、1997、2000、2001、2002、2004年ウイナー:ミハエル・シューマッハー
F1通算91勝は、一昨年(2020年)ルイス・ハミルトンに追い越されるまで歴代トップだった数字であり、当分は歴代2位の位置から動かないだろう。ミハエル・シューマッハー。人類史上初めてF1で7冠に到達した偉大なチャンピオンは、鈴鹿でも6度という多回数の勝利を実現している。
鈴鹿での1勝目が1995年で、6勝目が2004年。つまり、初勝利からの10年で6勝したことになる。6勝は鈴鹿F1最多勝記録であり、2000〜2002年の3連勝も鈴鹿での連勝最高記録だ。
ベネトン在籍時の1994〜1995年とフェラーリ時代の2000〜2004年、合計7回ドライバーズチャンピオンとなったシューマッハー。彼が鈴鹿で王座を決めたのは2回で、2000年と2003年だった(他に1995年、TIサーキット英田=現・岡山国際サーキットで開催されたパシフィックGPでの王座決定があり、日本での戴冠は計3回)。
2003年の“鈴鹿戴冠”の際にはシューマッハーはレースに勝っていなかったわけだが、この一戦については当該年優勝者を紹介する回で触れるとして、シューマッハーにとって(意外にも?)唯一の「勝って“鈴鹿戴冠”」となった2000年のレース、これが実に印象深い。
派手なアクションシーンや劇的なトラブルストップが絡んだりはしていないが、タイトルを争うミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)と緊迫感ある戦いを展開した上で、最後はお得意のピットストップ前後のスパート力を活かしての逆転勝利、という内容だった。
ハッキネンより3周引っ張った2回目の(最後の)ピットストップ、その直前に小雨がやや強まったともされるタイミングでのスパートが活きた格好の逆転になったのだが、周回遅れに遭遇したりしながらの走りで、シューマッハー本人的には、スパートが充分ではないかもしれない、という不安もあったそうだ。それでもチームからの無線で良好な状況だと理解できたときは、「レース人生で最高に嬉しい瞬間だった」(当時のオートスポーツ本誌より)。
シューマッハーらしいといえる勝ち方で、フェラーリでの自身初戴冠を決定。ここからF1最長の個人5連覇へとつながっていく王座決定劇でもあり、とても象徴的なそれであったといえるだろう。
ちなみに後年、シューマッハー自身がインタビュー(F1 Racing 日本版 2011年10月号)のなかで、自らのF1ベストレースにこの2000年日本GPを挙げている。「ナンバー1は2000年にフェラーリで(は自身初の)タイトルを獲ったレース」と。
「予選から(自分とハッキネンの)とんでもない戦いだった。レースでもピット戦略を含めて、最初から最後までものすごい勝負だった。決定的瞬間は(2回目の)ピットストップだった」
客観的に見ても、シューマッハーのベストレース、その最大公約数的な答えは2000年の鈴鹿で間違いないだろう。
なお、シューマッハーはベネトン時代、1994〜1995年に開催されたパシフィックGPをいずれも制しており、日本でのF1通算勝利は8ということになる。どこでも強かったシューマッハー、日本でもその強さは際立っていたと言ってよさそうだ。