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F1 ニュース

投稿日: 2022.09.07 16:52
更新日: 2022.09.07 16:54

【鈴鹿F1優勝偉人伝/8&番外編】鈴鹿といえばやっぱりこの人、アイルトン・セナ。そして0勝の大物たち

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F1 | 【鈴鹿F1優勝偉人伝/8&番外編】鈴鹿といえばやっぱりこの人、アイルトン・セナ。そして0勝の大物たち

 鈴鹿サーキットでのF1日本GPといえば、やっぱり“最象徴人物”はこの人だろう。アイルトン・セナだ。永遠のF1ヒーローは1988年と1993年の2度、鈴鹿で勝っているが、彼の場合、より印象に残るレースは勝った年やタイトルを決めた年以外にある──。

(※本企画における記録等はすべて、それぞれの記事の掲載開始日時点のものとなる)

■1988年、1993年ウイナー:アイルトン・セナ

 セナの鈴鹿での輝きぶりを記すならば、勝利数よりも、マクラーレン・ホンダ時代に集中する彼の全3回の戴冠(1988年、1990年、1991年)、その決定地がすべて鈴鹿だった、という事実の方が重要だろう。

 1988年はスタートで大きく出遅れてからの逆転優勝で、同じくマクラーレン・ホンダのアラン・プロストとの同門対決を制しての初タイトル獲得が決定。1990年はプロスト(フェラーリ)とのスタート直後の1コーナーでの接触により2度目の王座が決定。1991年はタイトルを争うナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)のコースアウト、リタイアによってセナ3度目のチャンピオンが決まっている。

 鈴鹿でのセナの優勝は2回。上述の1988年に加えて1993年にも勝っている(この年はマクラーレン・フォード)。ただ、“セナの鈴鹿”といえば、やはり圧倒的に1989年だ。勝ってもいないし、タイトルも獲れていない年だが、ここ一択だと(筆者は)考える。

 1989年F1日本GPの凄さは、当時現場にいた者にしか分からないかもしれない。私事で恐縮だが、筆者は2コーナーとS字区間のあいだに広がっていた当時の自由席エリアに予選日の夜から泊まりこんで決勝レースを見た。観客として見ていただけだが、あのレースの現場にいたことは生涯の誇りである。

 2年連続となるセナとプロストのマクラーレン・ホンダ同士のタイトル争いは、両者の確執も激化するなか、緊迫し切った状況で“ラスト前”の日本GPを迎えていた。当時の有効得点制の絡みでタイトル決定条件は少々いびつになっており、鈴鹿を含む残り2戦をセナが2連勝すれば逆転自力王座、それ以外の結果ならプロストが王座獲得、という様相だった。

 その1989年の日本GPは、予選2番手のプロストがスタートで先行。シーズン中、速さではセナに劣るとされてきたプロストが乾坤一擲ともいえる走りで逃げる。もちろんセナもあきらめない。懸命にプロストを追った。プロストはセナに優勝されなければいい、一方のセナは優勝しなければならない。そして終盤、47周目のシケイン……。

 2台が、ぶつかってしまった。

1989年F1日本GP シケインで接触したアイルトン・セナとアラン・プロスト(マクラーレン・ホンダ)
1989年F1日本GP シケインで接触したアイルトン・セナとアラン・プロスト(マクラーレン・ホンダ)

 この瞬間を筆者は仮設大型ビジョンで見ていたわけだが、130Rを抜けてから2台が寄り添うように、静かにぶつかるまでのわずかな時間がものすごく長く感じられたことを、33年が経とうとする今も鮮明に覚えている。

 プロストはその場でリタイア。しかしセナは執念でコース復帰を果たす。そして、彼が壊れたフロントノーズを交換している間に首位へと躍り出たアレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン・フォード)を抜いて、トップでチェッカーを受けたのである(ナニーニをシケインで抜いたのがセナの真骨頂か)。

“ウイニングラン”でのセナは泣いているようにも見えた。セナのファンが多い観客席が“セナの勝利”に大いに沸いたことは言うまでもない(余談だが筆者は当時、日本では少数派のプロストファンだった)。

 さて、(少なくとも筆者の周辺の)観客席はセナ失格の可能性をチェッカーフラッグが振られてしばらく時間が経過するまで認識していなかった。なかなか表彰式が始まらず、場内放送で「セナ失格の可能性あり」という情報がもたらされて、初めて気がついたのである。

 プロストとの接触後にシケインを通らずにコース復帰した、あるいはオフィシャルにマシンを押してもらった、当時も事後もいろいろと言われ、今となっては真偽不明な部分もあるが、とにかくセナは失格になった。そして表彰台の中央にはナニーニが上がる。レースが終わっても、ドラマは続いていたのだーー。

 凄いレースだった(誰を応援しているかなど関係なく)。

 アイルトン・セナという巨星がその輝きをいよいよ強めつつあったこのころ、いろいろな思惑が入り乱れて、1989年10月22日の鈴鹿サーキットに壮大すぎるドラマの展開を呼んだ。これこそが、セナの凄さを最も象徴する一戦であったと考える。

 モータースポーツ史上最高の一戦だった、そう言っても過言ではないように思う。

1990年F1日本GP 1コーナーでの接触後に回収されたセナとプロストのマシン
1990年F1日本GP 1コーナーでの接触後に回収されたセナとプロストのマシン
1991年F1日本GP 2位フィニッシュで自身3度目のチャンピオンを決めたアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
1991年F1日本GP 2位フィニッシュで自身3度目のチャンピオンを決めたアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
1993年F1日本GPを制したアイルトン・セナ(マクラーレン・フォード)
1993年F1日本GPを制したアイルトン・セナ(マクラーレン・フォード)
1991年F1日本GP マクラーレン・ホンダMP4/6を駆るアイルトン・セナ
1991年F1日本GP マクラーレン・ホンダMP4/6を駆るアイルトン・セナ
ヘルメットに日の丸を入れたアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)
ヘルメットに日の丸を入れたアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)

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