今年で20周年を迎えるツインリンクもてぎ。関東圏だけでなく、日本のモータースポーツにとって大きな役割を担ってきたツインリンクもてぎについて、ドライバー自身の記憶と思い出と共ともに振り返る短期集中連載企画。今回は武藤英紀選手に聞いた。
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4輪のレースデビューはイギリスのフォーミュラ・ボクゾールという異色の経歴を持つ武藤英紀。中学校卒業と同時に渡英し、5年間をイギリスで過ごしたため、武藤にはツインリンクもてぎでのレース観戦歴はない。ツインリンクもてぎ初体験は2002年のことだった。
「フォーミュラドリームのシーズン前テストで初めてもてぎに行ったんですが、その時は敷地がすごく広くて迷いました。どうやってパドックまで行ったらいいんだ!? って(笑)。実際に走ってみると、安全を意識して作られているなあというのが第一印象でした」
そう語る武藤にとって、もてぎでの思い出に残るレースを訊いてみた。
「ひとつは2005年全日本F3開幕戦の第2レース(第2戦)ですね。どんなレースだったかは覚えていないんですけど(苦笑)、優勝して田中弘監督から『プロとしてやっていけるぞ』みたいなことを言ってもらったんです。ドライバーをなかなか褒めない監督にそうやって言ってもらえたので、それは思い出に残っていますね」(※予選2番手から逆転優勝)
そうして自信を深めていった武藤は国内トップカテゴリーで1年戦ったのち、主戦場をアメリカへと移した。07年はインディ・プロシリーズで2勝を挙げてルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得し、インディカーシリーズにもデビュー。そして翌08年4月、ツインリンクもてぎで行なわれたインディ・ジャパンに凱旋帰国した。
「ものすごく緊張しました。それまであまり緊張することはなかったのですが、この時ばかりはガチガチでしたね(苦笑)。日本人がひとりしかいなかったということもあったんだと思います」
この時は11位に終わるが、第8戦アイオワでは日本人最高位(当時)の2位に入る活躍を見せ、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。
「アメリカのオーバルコースに比べて、もてぎはバンクの角度が浅いため全開でいくのが難しいんです。僕は一度も全開でいったことがないんですけど(苦笑)、噂ではすごく調子のいいクルマが予選一発、全開でギリギリいけるかどうからしいです」