ユーモアたっぷり、早口でジョークを連射するジェイムズ・ヒンチクリフ。カナダのトロントの出身の現在31歳のインディカードライバーだ。会見やインタビューでの彼は聴く者を惹きつける。
ジュニアフォーミュラ時代にはインターネット上に仮想の”ヒンチタウン”を作って自らメイヤー(市長)となり、レース活動の紹介し、スポンサーを募集していた。
インディカーデビューは2011年。前年のインディライツで3勝してランキング2位。才能を認められ、シーズン2戦目からだったが、今はなき名門ニューマン・ハース・レーシングからエントリーすることになった。
■波乱万丈のインディカー人生
ヒンチのインディカーキャリアは、この後なかなかスムーズに進んでいかなかった。まずはニューマン・ハースの活動休止することになった。その前にアンドレッティ・オートスポートへと移籍できたのは幸いだった。そして、2年目の2013年に彼はセント・ピーターズバーグ、ブラジルのサンパウロ、アイオワで優勝。近い将来にチャンピオンになる素材との評価を掴んだ。
ところが、今度はアンドレッティ・オートスポートがスポンサーに騙されたりもあって体制縮小を余儀なくされ、ヒンチが割りを食うことに。
またもやレギュラーシート喪失の危機となったヒンチとサインしたのは、サム・シュミット・モータースポーツ(現シュミット・ピーターソン・モータースポーツ)。シモン・パジェノーをチーム・ペンスキーにさらわれたからで、一転ヒンチはチームのエースとして走ることになった。
その期待に応え、移籍間も無くニューオリンズで優勝。しかし、インディ500のプラクティス中に大クラッシュ。モノコックを突き破ったサスペンションアームが刺さり、病院へ担ぎ込まれた。失血死の可能性もあったが一命を取り留めたヒンチは、リハビリ生活に入った。
現場復帰は翌年に持ち越された。怪我の前と同じパフォーマンスが発揮できるかは誰にもわからなかった。しかし、ヒンチ自身はもちろん、チームも彼の完全復活に賭け、それに応えてヒンチは開幕5戦目のインディアナポリス(ロードコース)で3位フィニッシュして表彰台に上った。そして、一年前に悪夢のような事故に遭ったインディ500を迎えたが、なんと予選でポールポジションを獲得する快挙を達成した。