スーパーGTを戦うJAF-GT車両見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。
今回は2005年にイギリス、ブランズ・ハッチで初開催されたモータースポーツ国別対抗戦『A1グランプリ』を前編と後編に分けて振り返ります。
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「モーターレースグランプリがブランズ・ハッチに戻ってくる」という広告が地元の看板や電車、すべての地元の新聞に大きく出ていた。長年、F1がブランズ・ハッチに戻ってくるのではないかというさまざまな噂があり、たしかにある時点で契約は交わされていたものの、イギリスGPはシルバーストンに留まっていた。
しかし、こうしたポスターはF1イギリスGPのことを言っているのではない。これは初開催の『A1グランプリ』という新たなチャンピオンシップのことを意味していたのだ。このシリーズはドライバーとプライベートチームが戦う代わりに、国同士が同一のマシンを使用して戦うというコンセプトの非常にエキサイティングなものだった。
普段の私はワンメイクレースは好まないが、A1GPには信じられないようなクールなマシンが使われていた。ローラF3000シャシーがベースになっており、2006年の全日本選手権フォーミュラ・ニッポンのマシンと非常によく似ていたが、A1GPマシンのボディワークは、あえてとてもワイルドな外見にデザインされていた。
A1GPはドバイの王室の一員である、シェイク・マクトゥーム・ハシャー・マクトゥーム・アール・マクトゥームが創設したものだ。彼はローラに「マシンはクレイジーな外見でなければならない」と言い、非常に幅の広いリヤタイヤと、雷のように音が割れて響き渡るザイテックのV8エンジンを装着するように要求した。
マクトゥームは望んだものを手に入れた。それは素晴らしいマシンだった。レースの世界の他のどのマシンとも違う外見をしており、漫画に出てくるようなのマシンだ。そして550bhpのザイテックV8エンジンは見事な音を出していた。私はシルバーストンでのテスト中に新しいマシンを見たが、ブランズ・ハッチでこのようなマシンがグリッドに勢揃いしているのを見るのは圧巻の光景になるだろうと感じた。
当時私はロンドンのクリスタルパレスにある実家に住んでいたので、ブランズ・ハッチまではクルマで20分もかからなかった。レースデーは暖かい良い天気に恵まれ、コースへ向かうのがうれしかった一方で、道が酷く渋滞しているのには閉口した。当時私が乗っていたのは1985年製のMk2フォルクワーゲン・ゴルフで、ラリーにも出たことがあるが(一度はラリークロスにも)、ラジオが動かないので、渋滞のなか座っているのはとても退屈だった。
地元警察とブランズ・ハッチ評議会は、その日にこれほどコースが混むとは予想していなかったようだ。彼らはおそらく他の大イベントのように、コースには20,000人くらいの観客がレースを見にくるのだろうと思っていたのだろう。しかし、その日の観客数は推定で80,000人であることが分かり、交通システムはパンク状態になった。
ある時点で、私はクルマから降りて警官と口論することになってしまった。適正なパスを持っているのに、彼らがパドックへ進ませてくれなかったからだ。これはイギリスのレースでよくあるイライラさせられる状況だ。彼らは半分フランス側へ戻し、その後に違う方向へ向かわせようというおかしなルートを私に取らせようとした。だが、警官から渡された地図を見ると、そこはなんと通行止めだった……。結局、断固とした議論をした後、警官が折れて私はパドックに入ることができた。