投稿日: 2015.07.20 00:00
更新日: 2018.02.17 09:20
更新日: 2018.02.17 09:20
ビアンキ、将来のフェラーリ入りは決まっていた
(オートスポーツweb )
元フェラーリ会長のルカ・ディ・モンテゼモロによれば、ジュール・ビアンキがキミ・ライコネンの後任としてフェラーリ入りすることは決定事項だったという。
ビアンキは2014年F1日本GPの事故により、意識が戻らないまま9カ月の入院生活を送り、7月17日に亡くなった。初めてフェラーリをテストしたのは、ユーロF3選手権のチャンピオンとなった2009年シーズン末のこと。その後はGP2、フォーミュラ・ルノー3.5シリーズなどを戦いながら、2011年フェラーリ・テストドライバー、2012年フォース・インディア・リザーブドライバーを経て、2013年にマルシャからF1デビュー。コスワース・エンジンを失ったマルシャが、2014年からフェラーリのパワーユニットを搭載することになったのもビアンキとのつながりによるものだ。
鈴鹿で事故に遭う3カ月前、ビアンキは2014年イギリスGPでクラッシュを喫したライコネンの代わりにシルバーストンF1テストに参加し、フェラーリをドライブしている。
1 2
この記事は国内独占契約により英 AUTOSPORT.com 提供の情報をもとに作成しています