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インフォメーションニュース

投稿日: 2016.03.05 00:00
更新日: 2018.02.17 13:20

富士SW50周年謝恩会で新旧ドライバーが秘話を披露


  今年で50周年を迎える富士スピードウェイが、レースファンに向けたさまざまな催しを50周年記念企画として発表。地域振興会を兼ねた3月5日の謝恩会では、往年のドライバーから現役のドライバーなど、これまでの富士スピードウェイの活動に関わった多くの関係者が出席し、富士スピードウェイの50周年をお祝いする言葉や、かつての思い出話に花が咲いた。

 1966年に開業して今年で50年目を迎える富士スピードウェイが50周年記念企画として今季、さまざまなキャンペーンやイベントを展開していく。サーキットでの特別ブースの設置や、抽選で50名が当選する次戦のパドックパス、懐かしいFISCOロゴのグッズ、歴代マシンの1/43ミニカー、そして全5巻に渡る記念冊子の無料配布に2017年3月開催予定の50周年記念感謝祭などなど、その企画数は現時点でも8つに上る。

 その概要の発表会、そして地域振興会を兼ねた謝恩会が3月5日に富士スピードウェイで開催され、これまで富士スピードウェイ、そして日本のモータースポーツを支えてきた往年のドライバーや現役ドライバー、現在とかつての関係者が参加して、謝恩会&地域振興会が催された。

 その会場でひときわ盛り上がったのが、新旧ドライバーによるトークショー。舘信秀、寺田陽次郎、関谷正徳といった富士に縁の深い往年のドライバーに、“チェカレンジャー"でお馴染みの現役ドライバー、松田次生、ロニー・クインタレッリ、平手晃平の合計6名が登壇し、それぞれの富士スピードウェイの思い出や今後への期待などを語った。6名による盛大なトークショーのため、話は多岐に渡ったが、ここではそれぞれの富士スピードウェイの一番の印象をお伝えする。

「いっぱい語ることはあるのですが、実は、今だから話せるのですが、富士スピードウェイを作っている当時、工事中の金網を壊して夜、真っ暗な中で走りました(笑)。それが今だから言える、富士スピードウェイの最初の思い出です」(舘信秀)

「初めて走ったときは、18歳の時でして、とにかくバンクにビックリしました。当時、今までの日本にないキャラクターのコースで、ここを全開で走ったら面白いだろう思いましたね。私はマツダに所属していましたが、この富士スピードウェイで毎月2週間くらい合宿をしてずっとロータリーエンジンの耐久テストをしてた思い出があります。富士スピードウェイがなければ、ルマン24時間の優勝はなかったと思っています」(寺田陽次郎)