“芸能界への登竜門”と例えられることが多いレースクイーン業界。過去にも、サーキットで活躍して、女優やモデルとして活躍の場を広げていく人も少なくない。だが、最近では一旦レースクイーンを卒業して、別の業界に挑戦するも、再びレースクイーンとして、サーキットに戻ってきて、それまで以上に輝きを放っている人もいる。
2022年にスーパーGTでSTANLEYレースクイーンを務めた廣川エレナさんも、そのひとりだ。
「専門学生の時に福岡でモデルのお仕事をさせていただいていた時に、ミスユニバースジャパンを受けていて、そこのスポンサーさんがレースでも活動をされていました。そこでレースクイーンのお仕事を提案されたのがきっかけでした」
そう語る廣川さん。もともとモータースポーツに興味があったわけではなく、その話をきっかけに、レースクイーンのことについても調べ始めたそうだが、そこで目に止まったのが、当時トップレースクイーンのひとりとして活躍していた藤木由貴さんだった。
「その時はモータースポーツとか、レースクイーンのお仕事はあまり知らない状態で、しっかりと調べました。当時はいろいろ検索すると藤木由貴ちゃんが真っ先に出てきて『こんな楽しそうにやっているんだ!』と思いました。だから、藤木由貴ちゃんをきっかけにレースクイーンへの興味が湧きました」
「あとはスポーツも好きだったので、相性も合うかなと思って、当時はけっこうフィーリングなところはありましたね」
こうして2017シーズンからのレースクイーンデビューが決まった廣川さん。初めてサーキットに行ったのが、鈴鹿サーキットで毎シーズン前に開催されるモータースポーツファン感謝デーだったという。
それまでモータースポーツに触れたことはなく、ピット内の機材やモニターの見方を説明されるも、廣川さんにとっては理解が追いつかないものばかりだった。
「初めてサーキットに行ったのが、鈴鹿のファン感でした。その時に、モニターに映し出されている情報とかを説明してもらったのですが、(モニターには)数字とか英語がびっしり詰まっていて……何がなんだかわからなかったです」
「でも、それを見てリアクションしているまわりの方々に、すごくびっくりしました。本当に最初は何がなんだかわからなかったですし、マシンも一瞬で目の前を通り過ぎていくので、本当に未知の世界でした。でも、『これから知っていくのが楽しみ』という気持ちがありました。早く皆さんと同じ感覚で見られるようになりたいなと強く思いました」
そこからモータースポーツのことについて理解を深めるべく、猛勉強を開始した廣川さん。この年は脇阪寿一監督が率いるTeamLeMansのレースクイーンを務めていたこともあり、脇阪監督がこまめに更新しているブログを熟読するなど、知識を深めていった。
「1年目は脇阪寿一監督のチームだったので、寿一さんがけっこうこまめにブログを更新してくださっていて、ウェイトハンデ(現サクセスウェイト)のことだったりとか、燃料リストリクターの説明を細かく書いてくださって勉強になりました」
「よく、脇阪さんが“心ひとつに”というのをハッシュタグでつけていらっしゃったのも印象的でしたし、すごく強いチームだったので、そばで応援していて1年でモータースポーツが大好きになりました」
知れば知るほどモータースポーツの魅力にハマっていった廣川さん。レースクイーン2年目の2018年にはヘイキ・コバライネンと小林可夢偉がドライブするTEAM SARDのレースクイーンとしてさらなる活躍を見せた。
気がつくと、自身にとってもサーキットは“居心地の良い場所”になりつつあったのだが……高校時代から思い描いていた“夢”を叶えるべく、このシーズン終わりに大きな決断をする。
「福岡でモデルをしていた時の夢が『ビッグになりたい!』でした。それこそ高校生の頃から、そう言い続けていたんですけど、やっぱりビッグになるためには東京に行かなきゃいけないと思っていました。それで『レースクイーンは芸能界の登竜門』と言われていたので、芸能界へのきっかけとしてレースクイーンを始めたところもありました」
「2年間、サーキットでお仕事をさせていただく中で、本当にレースが好きだし、レースクイーンの仕事が楽しいなと感じたんですけど、この楽しいままで自分は終わっていいのか?という不安も出てきて、すごく悩みました」
「でも、今ここを離れないと、ずっとここに居続けてしまうと思ったので、意を決して、ここを離れて、モデル事務所に所属させていただきました」
ビッグになる!という夢を叶えるべく、さらに自身を追い込んで、様々な活動に挑戦した廣川さん。実際、その成果は確実に現れ、地上波放送では有名な番組やCMなどに登場したほか、2021年には映画『東京リベンジャーズ』への出演も決まるなど、モデル・女優業としても着々と活躍の場を広げていった。
しかし、当の廣川さんはと言うと、自身の活躍を誇りに思うことはあまりなく、逆に“心に空いた穴の埋め方”に悩んでいた。
「(RQを離れてから)3年の間にボイストレーニングやダンストレーニングもしましたし、お芝居のオーディションもたくさん受けました。CMや映画とかのお仕事もさせていただきました」
「いろいろなことに挑戦しましたが、次の目標が湧いてこなかったんですよね。レースクイーンの時は『次はこうなりたい!』という目標がたくさんありました。そういうのが、湧いてきませんでしたし、少し大きな映画に出演して、まわりの方からリアクションをいただいても、それに対してうれしいという感情があまりなかったです」
「やっぱり『ビッグになりたい!』と言ってきましたが、みんな好きなことをやっているから、みんなビッグになっていくんだなと思いました。例えば、お芝居にしても好きなことを突き詰めるから、みんなビッグになっていくんだなと……」
「私が描いていた“ビッグになりたい”は、理想は高かったけど、その中身がほとんどなかったのかなと思います。3年間いろいろやって悩んできましたけど、そこで“好きなことをやろう”という気持ちになって、それが私にとってはレースクイーンでした」