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レーシングオン ニュース

投稿日: 2021.07.06 09:15
更新日: 2021.07.06 10:24

『JTCC P10型プリメーラ』欧州も視野に入れた日産のコンパクトセダンが新生・全日本選手権に挑む【忘れがたき銘車たち】

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レーシングオン | 『JTCC P10型プリメーラ』欧州も視野に入れた日産のコンパクトセダンが新生・全日本選手権に挑む【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、JTCCのP10型プリメーラです。

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 今でこそ数は少なくなってしまったが、ブルーバード、セドリック/グロリア、セフィーロ、レパードなど、かつて日産には4ドアセダンの名車が数多く存在した。

 そんな日産の4ドアセダンのラインアップのなかでも欧州車を強く意識したつくりで、日欧で販売されたP10型プリメーラは、主に2.0リッターエンジンを積む4ドアセダンによって争われた全日本ツーリングカー選手権(JTCC)に参戦し、サーキットレースにおいて、ファンにとっても強く印象に残る1台だったのではないだろうか。

 P10型プリメーラは、1990年に市販車がデビューした。翌1991年から、後にクラス2ツーリングカー規定として世界に広まる2.0リッターのツーリングカー規定を先行導入したイギリスツーリングカー選手権(BTCC)に参戦を開始。

 そのBTCCでヤンスピードの手によって3シーズンを戦った後、1994年にクラス2ツーリングカー規定で新たなスタートを切ったJTCCにもエントリーした。

 JTCCへ参戦するにあたり、日産はすでにBTCCで実績のあるヤンスピード製のプリメーラを活用するかに思われたが、実際は参考にはしたものの、それまでグループCカーを担当していた部署が新たにマシンを独自で開発。日本独自のプリメーラが製作されたのだった。

 プリメーラは、販売戦略上の観点から参戦車両に選ばれたが、車体剛性が高く、接地性に優れるマルチリンクサスペンションを採用するなど、他車に比べて有利だと思われる要素を持つ車両でもあった。

 それが功を奏したか1994年シーズンは、表彰台の一角を占める好走を見せる場面もあったが、日産が自社開発したオリフィスデフに問題を抱え、それに起因するトラブルでリタイアを喫することも多く、結局勝利を挙げることができたのは、最終ラウンドであるインターTECの1レース目のみという結果に終わってしまった。

 その後P10型プリメーラは、1995年もシリーズを通して参戦。懸念だったデフをメカニカルに変更するなど改良を重ねたが、トヨタ・コロナエクシヴ、BMWなど常勝するライバル勢の壁は厚く、結局前年同様にインターTECで1勝を挙げるに留まってしまう。

 2年でわずか2勝と惨敗に終わってしまったプリメーラ。1996年にはモデルチェンジを実施し、P11型となったプリメーラをベースに新たなウエポンを開発するが、日産にとっては、さらなる苦戦の日々が待ち受けているのであった。

1995年もプリメーラのシーズン唯一となる勝利をマークしたのは星野だった。舞台は同じくインターTECで、1レース目となる第15戦を2位で終えると、2番手発進となった第16戦で優勝。なおこの年からマシンには、規定変更によってエアロパーツが装着されるようになった。
1995年もプリメーラのシーズン唯一となる勝利をマークしたのは星野だった。舞台は同じくインターTECで、1レース目となる第15戦を2位で終えると、2番手発進となった第16戦で優勝。なおこの年からマシンには、規定変更によってエアロパーツが装着されるようになった。


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