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レーシングオン ニュース

投稿日: 2021.08.16 14:15
更新日: 2021.09.01 10:55

『JTCC トヨタ・カローラ(AE100系)』TRDが立場を確立した偉大なる挑戦【忘れがたき銘車たち】

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レーシングオン | 『JTCC トヨタ・カローラ(AE100系)』TRDが立場を確立した偉大なる挑戦【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、JTCCを戦ったトヨタ・カローラです。

* * * * * *

 人気を博したグループAから一転、1994年に主に2.0リッター4ドアセダンが競うレースとして新たなスタートを切ったのが全日本ツーリングカー選手権(JTCC)だ。

 このシリーズにおいてトヨタはトムス、セルモ系がイギリスツーリングカー選手権(BTCC)で、すでに実績のあったコロナを選択した。

 土屋エンジニアリング、レーシングプロジェクトバンドウは、カローラ系の派生車種であるカローラセレス/スプリンターマリノを選ぶなど、同メーカー内でも車両のチョイスが分かれていた。そのなかでTRDが選択したのが、AE100系のカローラであった。

 TRDは、FETスポーツとタッグを組んで、カローラの車両とエンジンの両方を開発していた。TRDは、セルモのコロナやバンドウのマリノにエンジンを供給する体制も作っていたが、車両も開発したのは、このカローラだけであった。

 カローラを選択したのは、2.0リッターの3S-GEエンジンが搭載可能なツーリングカーであること。そして、車体がコンパクトであり、前面投影面積が小さなクルマが有利であるという理由によるチョイスだった。

 だがこれは、ライバル車でも同様なのだが、エンジンルームやタイヤハウスのスペースの小ささが不利な要素となり、思うようなマシン開発ができずに苦戦を強いられていた。

 それでも光るところを見せ、最終戦インターTECでは、富士スピードウェイのコース特性に前面投影面積の小さいカローラのボディがマッチしたこともあって善戦。

 このラウンドから投入した1995年スペックのリバースヘッドエンジンのポテンシャルも相まって、1台が4位に入る活躍を見せた。

 1995年、TRDはカローラをさらに磨きをかけ、AE110系のカローラを開発したが、トヨタ勢としてはコロナ・エクシヴが新規投入され、大活躍したこともあって、TRDはこの年以降カローラでの活動を縮小。しかしその後もTRDは、エンジンの供給という形でJTCCには関わり続けた。

 TRDが手掛けた3Sは1994年、セルモが走らせるコロナ、2台ともに供給するはずだったが、トムスチューンの3Sに信頼性、性能ともに劣るという理由で、TRD仕様が供給されたのはセルモのうちの1台のみという状況だった。

 しかしそれが1995年には、セルモの2台のエクシヴに供給されることとなり、トムスのエクシヴと互角の戦いを見せるなど、徐々にチームからの信頼を得ることに成功した。

 1997年、FRのチェイサーが投入された際にはTRDがトヨタから委託を受けて、エンジン、車両を開発し、各チームへ供給するという体制を確立するまでに漕ぎ着けたのだった。

 現在、スーパーGTにおいてTRDが各チームへマシン、エンジンをデリバリーするというのは当たり前の体制となっているが、JTCCが開始する以前、すべてを供給する立場にTRDはいなかった。

 しかし、それを確立できたのはJTCCでの研鑽の日々があったからであり、そしてそれに向けた第一歩が、このカローラでの参戦だったのである。

もう1台のカローラ、8号車を駆る見崎清志は最終ラウンドとなるインターTECにおいて快走。2レース目となる第18戦ではトップグループでのバトルを展開し、4位入賞を果たした。
もう1台のカローラ、8号車を駆る見崎清志は最終ラウンドとなるインターTECにおいて快走。2レース目となる第18戦ではトップグループでのバトルを展開し、4位入賞を果たした。


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